家庭内の問題を軽視する日本人の危うさ
また、一部ネットの声には、長女を批判するものも見受けられます。父親からの愛あるしつけや教育までもがこのように大事にされたらたまったものではない、という意見です。こうした見方を、長女が「自らの意思で書いた」とする手紙が後押ししている側面もあります。ここに、しつけの文脈があれば暴力をないものとしてしまう日本人の危うさがあらわれています。家庭内や密室での暴力を極端に軽くとらえてしまう国民性です。
今回は「殴る、蹴るといった事実はなかった」とのことですが、仮にそうしたことがあったとしても、管理や矯正の段階においてはある程度までなら許容してしまう精神的な土壌がある。
教育やしつけの文脈ならば暴力の是非を相対化してしまう空気のことです。部活動などでの体罰が後を絶たないことと無関係ではありません。
今回の阿部氏の一件に対する反応も、改めてそうした問題の根深さを浮き彫りにしたのだと思います。
以上の点から、阿部氏の言葉は、時折いびつなノイズを響かせていると感じました。責任という言葉とは裏腹に、後味の悪さだけが残ったのです。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4

