「宿題をしない」「受験が近いのに焦っていない」「親として何をすべきなのか」――そんな子育ての悩みを抱えてはいないでしょうか?
子どもが自立へ向かうために必要なのは、子どもを一人の人間として尊重し、「叱らない」「ほめない」「比べない」こと。アドラー心理学の教育思想をもとに、親や教師が子どもとどう関わればよいのかをやさしく解説した、岸見一郎氏の最新作『アドラーの教育論 対等と自立』。本書の一部を再編集してご紹介します。
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自立と責任を教える
アドラーが「教科を教えるのではなく、教科で教える」という時、何を教えるのか。まず、「自立」です。
子どもは生まれてからかなり長い時間、大人の援助がなければ生きていくことができませんが、大人は子どもが一日も早く自立できるように援助しなければなりません。一体いつになれば子どもが自立できるのかという見極めは簡単ではありませんが、アドラーは次のようにいっています。
「人生の一番最初の日から彼〔女〕らの年齢が許す限り自立するように訓練されるべきである」(Adler Speaks)
しかし、親がいつまでも子どもを子どもとしか見られず、本来自分でするべきこと、できることも自分でしないことを許していれば、子どもはいつまでも自立しようとしないでしょう。
何もできないと思い込み、自分で何もしなければ、親が代わりに子どもが本当はできることまで肩代わりしたり、何をするかを指示したりすると、子どもは自分の行動に責任を持たなくていいからです。
小学生だったある日、友人から電話がかかってきました。「これから遊びにこないか」と誘われたのです。私が住んでいた家は子どもの足では学校まで三十分ほどかかる校区のはずれにあったので、一度家に帰れば、次の日登校するまでは外に出ないことが多かったのですが、友達から電話がかかってきた時に、ふと行ってみたいと思いました。
その時、近くにいた母にこれから遊びにいっていいかとたずねました。母はいいました。「そんなことは自分で決めていいのだよ」と。私は自分で決めてはいけないと思っていたので、自分で決めてもいいと親にいわれ驚いたことを覚えています。
勉強をするかしないかも親が何もいわなければ、子どもは最初はしないかもしれませんが、勉強しなければその責任は自分に降りかかってくることをすぐに学ぶことになります。親がうるさく勉強するようにといえば、子どもは勉強するかもしれませんが、子どもはいつまでも自立しません。親にいわれたら勉強しても、親が見張っていなければ勉強しなくなるのです。

朝、保育園に行く前、夜も夕食後、親が横について勉強させていた子どもを知っています。学校の成績はよかったのですが、親が席を立つと勉強をやめ、見張られないと勉強できなくなりました。勉強しなさいといわれたら勉強するのではなく、勉強をするのもしないのも自分で決められなければ自立しているとはいえません。
アドラーは「隷属」する子どもについて、次のようにいっています。
「もしも誰かが子どもに必要なことをするようにしているためにいつもいれば、それを成し遂げることができる。〔しかし、〕一人にされるとためらい失敗する。このような子どもは、隷属にはよく準備されているだろうが、自由が取られるとどうしていいかわからないのである」(『人生の意味の心理学』)
指示されたことしかしない子どもは、創意工夫をして失敗した時に生じる責任を引き受けることを回避しようとしているのです。自立できるためには責任を取ることを学ばなければなりません。

勉強するのは他者に貢献するためだと教える
次に、他者に「貢献」することを教えなければなりません。たしかに、誰もが子どもの時だけでなく大人になってからも、他者から助けられて生きています。しかし同時に、自分も他者に何ができるかを考えられるようにならなければいけないのです。
アドラーは次のようにいっています。
「人生は全体へと貢献することを意味する。人生の意味は貢献、他者への関心、協力である」(『人生の意味の心理学』)
勉強についていえば、勉強することで成功することしか考えていないような人は、自分にしか関心がないのです。他者が何に関心を持ち、他者が何を必要としているかを見極めることができる人だけが他者に貢献することができます。ただ成功するためではなく、他者に貢献するために勉強しなければならないのです。
貢献という言葉には抵抗感がある人がいるかもしれません。他者のことを考えることは少しも自分の得にならないのではないか。他者貢献は自己犠牲ではないか、と。
これについては、アドラーは自分が与えるものを持っていなければならないと、次のようにいっています。
「人が本当に他者に関心を持ちたいと思い、公共の目的のために働きたいと思うのであれば、まず自分自身の世話ができなければならない。与えるということが何か意味を持っているのであれば、自分自身が何か与えるものを持っていなければならないのである」(前掲書)
与えるためには、まず自分が与えるものを持っていなければなりません。そのためには、一生懸命勉強しなければなりません。
問題は、そうやって身につけた知識を何のために使うのかということです。幼い頃から自分のことだけを考えて生きることを許されると、勉強をするのは他者に貢献するためだとは思いもよらないでしょう。他者に貢献できると思えればこそ、時に勉強が苦しくてつらくなっても耐えることができるのです。


