③ライフ・ワーク―――オルソン・ハウスの住人達
メイン州は、アンドリュー・ワイエスにとって、故郷ペンシルヴェニア州と並ぶ重要な作品の舞台である。毎年夏を過ごすこの場所で、地元の人々と交流しながら、ワイエスは人々の姿や自然を描き続けた。
その重要なモデルの一人が、クリスティーナ・オルソンである。クリスティーナ・オルソンは、もともとスウェーデン系移民の家系に生まれ、海を見下ろす丘の上に立つオルソン・ハウスで弟アルヴァロと暮らしていた。
強い独立心の持ち主であり、幼少期に患った病気のために足が不自由でありながらも、車いすは使わずにいつも自分の腕で体を支え、地面や床を這うようにして、家や農場の周辺を動き回っていた。
また、人を招き会話を楽しむなど社交的な面も持っていたという。
妻の紹介でオルソン・ハウスとそこに住む姉弟の存在を知ったワイエスは、古い家の持つ佇まいだけでなく、姉クリスティーナの誇り高い生きざまと、そんな姉を献身的に支える弟アルヴァロの姿にひきつけられた。
そんな彼らとオルソン・ハウスを題材にした絵が、第三章「ニューイングランドの家―――オルソン・ハウス」に集められている。
その一つ〈クリスティーナ・オルソン〉を見てみよう。
アンドリュー・ワイエス〈クリスティーナ・オルソン〉 1947年 テンペラ、パネル 83.8×63.5㎝ マイロン・クニン・コレクション、ミネアポリス Myron Kunin Collection of American Art, Minneapolis, MN photo: Curtis Galleries, Inc. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
ここでは、日課の家事を終えたクリスティーナが、戸口に腰掛け、外を見ている。薄暗い室内に対し、外からの光を浴びた彼女の顔はほの白い。一陣の風が彼女の髪を優しく揺らし、その影は背後の古びた扉に映っている。
ワイエス自身は、この彼女の姿と扉に映る影を見た時に、「傷ついたカモメを連想した」と語っている。
病気で自由に歩き回ることもかなわず、弟の介護を受ける日々。そのような状況の中でも顔を上げ、自分にできる家事をこなし、生きることを決してあきらめない。「これが私」と胸を張って言うことができる。
そんなクリスティーナへのワイエスの敬意と深い親愛の情が、髪一本に至るまで緻密に描きこまれた画面からは浮かび上がってくるようである。
オルソン姉弟との交流は30年以上にわたって続き、その間クリスティーナがモデルを務めた作品は200点以上にものぼる。ワイエスの代名詞ともいえる〈クリスティーナの世界〉も、その中から生まれた一枚である。
しかし、やがて別れの時がやってくる。1967年の暮れに弟アルヴァロが、そして1968年に姉クリスティーナもあとを追うように亡くなったのである。
その1年後、無人となった家を訪れたワイエスは3階の窓から、1階の台所を見下ろす構図で〈オルソン家の終焉〉を描いた。
1969年 テンペラ、パネル 46.5×49.5㎝ クリーブランド美術館 The Cleveland Museum of Art, Promised Gift of Nancy F. and Joseph P. Keithley ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
屋根の下には、姉弟の主な生活空間だった台所があり、手前の煙突から立ちのぼる煙はいつもワイエスに彼らの存在を教えてくれていた。
二人はもういないが、彼らが生きていたという確かな事実と、過ごした時間の積み重ねは家に染み込んでいる。今でも煙突からは、姉弟の話し声が聞こえてきそうな気さえする、とワイエス自身が語るほどだった。
そして遠景には、若い頃のアルヴァロが漁をすることを好んだ入り江が見える。二人にまつわる記憶は、ワイエスの絵筆を通して「永遠」のものとなったのである。
2つの大戦後、覇権国として急速に変わりゆくアメリカにあって、ワイエスは身近で愛着のある土地や人々を見つめ、ひたすら描き続けた。
荒野の自然やそこに住まう家族や親しい人々を通して、このアメリカ大陸に移民としてわたり、人生を切り開いてきた人々の記憶というものに触れていたのかもしれない。だからこそ、ワイエスの作品は、見る者の心に深く忘れがたい記憶となって焼き付くのだろう。
そんな彼の静かな絵画世界と、ぜひ会場で向き合ってみてほしい。
展覧会情報
展覧会名:東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展
会場:東京都美術館(東京都台東区上野公園8-36)
会期:2026年4月28日(火)〜 7月5日(日)
開室時間:9:30〜17:30(金曜日は20:00まで、入室は閉室の30分前まで)
休室日:月曜日(ただし6月29日は開室)
主催:東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、東京新聞、フジテレビジョン
協賛:DNP大日本印刷
特別協力:丸沼芸術の森、ユニマットグループ
協力:ワイエス財団、日本航空
後援:アメリカ大使館、ビーエスフジ
公式サイト:東京都美術館開館100周年記念アンドリュー・ワイエス展
