海外クルーズ船での集団感染をきっかけに注目されているハンタウイルス感染症。「次のパンデミックになるのでは」とSNSでも不安が広がっています。主な感染源はネズミの排泄物で、重症化すると肺や腎臓に深刻な障害を引き起こすことがあります。では、実際に私たちにとって感染や重症化のリスクはどの程度なのでしょうか。今回は感染経路・症状・重症化リスク・日常の予防法について、大阪大学大学院医学系研究科感染制御医学講座教授の忽那賢志先生に解説してもらいました。

監修医師:
忽那 賢志(大阪大学大学院医学系研究科 感染制御医学講座教授)
山口大学医学部を卒業後、救急医療などの現場で経験を積み、その後、感染症を専門とするようになる。2009年から奈良県立医科大学感染症センターで研修し、2010年には市立奈良病院で勤務。2012年より国立国際医療研究センター国際感染症センターに勤務。主な著書に「感染症診療とダニワールド」(シーニュ、電子書籍)、「みるトレ 感染症」(医学書院)、「症例から学ぶ 輸入感染症 A to Z」(中外医学社)、「専門医が教える 新型コロナ・感染症の本当の話」(幻冬舎)など。
ハンタウイルス感染症とはそもそも何か? クルーズ船で集団感染が起こった理由
編集部
そもそも「ハンタウイルス感染症」とはどのような病気なのでしょうか。
忽那先生
ハンタウイルス感染症は、主にネズミなどのげっ歯類が保有するハンタウイルスによる感染症です。ハンタウイルスには複数の種類があり、大きく分けて、腎臓の障害を中心とする「腎症候性出血熱」と、肺の障害を中心とする「ハンタウイルス肺症候群」があります。前者は主にアジアやヨーロッパで、後者は主に南北アメリカ大陸で報告されています。
今回クルーズ船で注目されたのは、後者の「ハンタウイルス肺症候群」を引き起こす「アンデスウイルス」が関与していたためです。ハンタウイルス肺症候群は発熱や筋肉痛などから始まり、その後に急速な呼吸不全をきたすことがあり、重症例では命に関わることがあります。
編集部
ハンタウイルスは、具体的にどのような経路で人間に感染するのでしょうか。ネズミなどの動物が関係しているとも聞きました。
忽那先生
基本的には、ハンタウイルスに感染したネズミなどの尿、糞、唾液などの排泄物で汚染されたほこりを吸い込むことでヒトに感染します。また、汚染された物に触れた手で口や鼻に触れる、汚染された食物を口にする、ネズミに咬まれる、といった感染経路も考えられます。
つまり、ネズミそのものに触れなくても、「ネズミの排泄物で汚染された環境に入ること」がリスクになります。特に、長期間使っていなかった小屋、倉庫、古い建物など、ネズミの侵入可能性がある場所を掃除する際には注意が必要です。
編集部
ハンタウイルスは「人から人へ」感染することはあるのでしょうか?また、感染力の強さはどの程度ですか?
忽那先生
多くのハンタウイルスでは、通常、人から人への感染は起こらないと考えられています。ただし、今回問題となったアンデスウイルスは例外的で、ハンタウイルスの中でも人から人への感染が報告されている数少ないウイルスです。
とはいえ、麻疹(はしか)や新型コロナウイルスのように、空気中を広く漂って次々に感染するようなウイルスではありません。感染が起こるとしても、患者さんとの濃厚かつ長時間の接触、特に発症前後~発症初期の近接した接触が関係すると考えられています。
したがって、一般の人が日常生活で過度に心配する必要はありませんが、患者さんと接触した可能性がある場合には、保健当局や医療機関の指示に従うことが重要です。
ハンタウイルスに感染後の症状は? 潜伏期から治療まで
編集部
ハンタウイルスに感染した場合、初期にはどのような症状が表れるのでしょうか。一般的な風邪やインフルエンザとの見分けはつきますか?
忽那先生
初期には発熱、頭痛、筋肉痛、倦怠感、せき、腹痛、吐き気、嘔吐、下痢などがみられることがあり、一般的な風邪やインフルエンザ、胃腸炎と区別しにくいことがあります。そのため初期症状だけで見分けるのは困難です。
ハンタウイルス感染症で問題視すべきは、最初は「少し重い風邪」のように見えても、その後急速に呼吸苦(息苦しさ)が悪化することがある点です。
したがって、症状だけで判断するのではなく、南米などの流行地域への渡航歴、クルーズ船での曝露歴(接触歴)、ネズミの排泄物で汚染された環境への立ち入り、患者さんとの濃厚接触歴を確認することが重要です。こうした曝露歴のある人が、発熱やせき、筋肉痛を自覚した場合は、早めに医療機関へ相談することが大切です。
編集部
ウイルスに感染してから実際に症状が出るまでの「潜伏期間」はどのくらいあるのでしょうか?
忽那先生
潜伏期間はウイルスの種類や曝露状況によって幅がありますが、おおむね1〜5週間程度と考えられています。一般的には2週間前後で発症することが多いとされていますが、より長くなることもあります。
今回のようなアンデスウイルス関連事例では、接触者の健康観察期間が長めに設定されることがあります。これは、潜伏期間が比較的長い可能性を考慮しているためです。
編集部
重症化すると、肺や腎臓に深刻な影響が出ると聞きました。具体的にどのような病態に陥るのでしょうか?
忽那先生
ハンタウイルス感染症では、ウイルスの種類によって主に障害される臓器が異なります。
ハンタウイルス肺症候群では、血管から肺の中に水分が漏れ出すことで肺水腫を起こし、急激な呼吸不全に至ります。進行すると酸素を十分に取り込めなくなり、人工呼吸管理や集中治療が必要になることがあります。
一方、腎症候性出血熱では、発熱に続いて血圧低下、血が止まらなくなる(出血傾向)、腎臓機能の低下などがみられ、重症例では透析が必要になることもあります。
つまり、ハンタウイルス感染症は「風邪のような症状で始まるものの、肺または腎臓を中心に、急速に重症化し得る感染症」と理解するとよいでしょう。
編集部
万が一、ハンタウイルス感染症を発症してしまった場合、効果的な治療法や特効薬はあるのでしょうか?
忽那先生
現時点で、ハンタウイルス肺症候群に対して確立した特効薬はありません。治療の中心は、支持療法(症状に合わせた治療)となります。具体的には、酸素投与、人工呼吸管理、循環管理、ショックへの対応、必要に応じた集中治療などが重要になります。また腎症候性出血熱では、腎不全に対する輸液管理や透析などが必要になる場合があります。
一部の抗ウイルス薬(リバビリンやファビピラビルなど)が治療薬の候補として研究・検討されてきましたが、ハンタウイルス肺症候群に対して明確に有効性が確立した標準治療とはいえません。したがって、最も重要なのは、早期に疑い、早期に医療につなげ、重症化に備えた管理を行うことです。

