突然の頭痛から始まった闘病生活――。くも膜下出血(脳を覆うくも膜と軟膜の間に出血が起こる病気)で倒れ、右手の麻痺や失語症と向き合いながらも、漫画やドリルを通じて言葉を取り戻したゆかりんさん(仮称)。今では看護助手として患者さんに寄り添う日々を送っています。彼女に、命を救ってくれた家族や猫、医療者への感謝を語ってもらいました。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年11月取材。
体験者プロフィール:
ゆかりんさん(仮称)
1971年生まれ、秋田市在住。診断時の職業は販売員。2022年9月4日の朝方、急に倒れそうなほどの頭痛が起こり、救急車で病院に搬送。MRIでくも膜下出血が判明した。
多弁だった私がうまく話せない、言葉の不自由さに直面して
編集部
倒れる前は、どのような体調だったのでしょうか?
ゆかりんさん
倒れる2〜3年前から血圧が高くなり、上は150〜160mmHg、下は90〜100mmHgほどありました。それまでは低血圧だったので、更年期の影響だと思い込んでいました。頭痛やひどいホットフラッシュ(顔のほてりや発汗などが突然起こる、更年期障害の代表的な症状)もありましたね。また、当時の職場で嫌がらせに遭い、かなりきつい日を過ごしていたストレスもあり、頭痛薬が手放せない状態でした。お酒も好きで、ビールから始まりワイン1本、ウイスキーは2日で1本(700mL)を飲むほどでした。お酒を飲むと一時的に血圧が下がるので、「やっぱり酒は薬ね!」と思いながら飲んでいました(※)。※飲酒は一時的に血管を拡張させ血圧を下げることもありますが、長期的には高血圧のリスクを高めます。大量の飲酒をし続けることは控えるようにしましょう
編集部
発症当日の朝、どのような異変が起こりましたか?
ゆかりんさん
2022年9月3日の夜はいつものようにお酒を飲み、愛猫たちと休んでいました。そして翌朝6時に目覚めた瞬間、突然頭が割れるような激しい痛みに襲われたんです。メモに「死ぬほど頭が痛い」と書き、叔母に電話しました。幸い叔母たちは裏庭にいたので、すぐに駆け付けて救急車を呼んでくれ、私は「猫と娘をよろしく」と伝えたところで記憶が途切れました。きっと「もう死ぬ」と直感したのでしょう。病院に運ばれた後は、自分で名前を言い、「6時ごろから頭が痛い」と医師に説明していたそうです。
編集部
手術後、意識を取り戻したときの状況を教えてください。
ゆかりんさん
気が付いたら病院の廊下で、看護師に「さぁ、これから病室ですよ」と言われましたが、状況がまったく分かりませんでした。後から聞いた話では、手術は13時間にも及ぶ大変な手術だったそうです。出血は少なかったものの場所が悪く、「覚悟して」と言われるほどの状態でした。手術後は、麻酔でICU(集中治療室)に3週間ほど眠っていたようです。
病室に移った後、看護師やリハビリテーションスタッフに「ダイアトニックは?」と必死に話し掛けました。ダイアトニックは競走馬の名前で、ちょうどスプリンターズステークスの時期だったこともあり、勝ったかどうか気になっていたんです。猫や娘のことも話しましたが、あんなに多弁だった私がまったくうまく会話できません。「何で話せないの?」「何で病院にいるの?」「これは現実? 夢?」とパニックになりました。
数日後、医師と思われる男性に「私は何の病気ですか? なぜここにいるんでしょう?」と尋ねて、初めてくも膜下出血だと知りました。「え、私が脳疾患? くも膜下出血?」と驚きが隠せませんでした。また、目覚めて2~3日目に斜視になっていたことにも気が付きびっくりしましたね。2カ月後に元に戻ったときは安心しました。
リハビリを重ねて取り戻した生活と新たな仕事への挑戦
編集部
その後、リハビリはどのように進めたのでしょうか?
ゆかりんさん
リハビリ病院に転院後は「自宅に戻り普通の生活に帰ること」を目標にしました。術後の後遺症で右手は50%程度しか動かず、握力は5kgしかありません。物がつかめず鉛筆も持てないため、左手で書く練習を始めました。足は感覚麻痺があるものの、歩行には問題がなかったことがせめてもの救いでした。さらにつらかったのは失語症(脳の言語機能の中枢が損傷し、話す・聞く・読む・書くことが困難になる障害)です。話すたびに「今何と言った?」と聞き返される毎日で泣きました。字も書けず「あいうえお」すら分からない状態。でも読むことはできたので漫画を読み、「読めるなら書けるようになる!」と自分を励ましました。当時は、看護師に「いつも漫画を読んでいるね」と笑われるほど読み続けていました。
書くこと・話すことを中心にリハビリを重ね、小学生のドリルを解いて練習し、3年たった今は中学入学レベルまで回復しています。おかげさまでゆっくり話せば相手にしっかりと意味が伝わるようになりました。お酒を飲む量は以前の3分の1以下に減らしています(笑)。
編集部
退院後、新たな仕事に挑戦されたそうですね。
ゆかりんさん
はい、最近仕事が決まりました。ハローワークで10件近く応募したものの全滅でしたが、それでも諦めずにいたら、3年前に入院していたリハビリ病院の看護助手として採用されたんです。面接の際、院長から「あなたの体験は患者さんの励ましになる」と言葉をもらい、「患者さんのつらい気持ちが分かる自分に適任の職業」だと思えましたね。
職場では、患者さんの名前を覚え「おはよう!」と声を掛けることから始め、日々の愚痴や家族の話も聞くようになりました。今では患者さんからあいさつしてくれたり、私がいないと心配してくれたりしています。

