マルセル・デュシャン《泉》(1917年)。写真家アルフレッド・スティーグリッツが展覧会の直後に撮影した。背景に見えるのはマースデン・ハートリーの絵画《ウォリアーズ》。オリジナルの便器は現存せず、この写真だけが当時の姿を伝えている。, Public domain, via Wikimedia Commons.
展覧会の委員たちもデュシャンの《泉》に反発
グランド・セントラル・パレス(ニューヨーク、1917年頃の絵葉書)。独立美術家協会の第1回展覧会が開かれた会場。レキシントン・アベニューに面した巨大な展示施設で、ニューヨークの主要な展覧会場だった。, Public domain, via Wikimedia Commons.
1917年、ニューヨーク。新しく設立された独立美術家協会が、画期的なルールの展覧会を企画しました。
「参加費6ドルを払えば、誰でも、どんな作品でも無審査で展示される」。そこに届いた荷物の中から出てきたのは、ごく普通の男性用便器でした。
配管用品店で買ってきたものに「R. Mutt 1917」と偽名のサインを書き、《泉》というタイトルを付けただけ。便器の送り主は、当時すでに美術界で名の知れたマルセル・デュシャンでしたが、委員たちはそのことを知りません。
「無審査とはいえ、便器は作品ではない」「ただの悪ふざけだ」
委員たちは慌てて議論し、結局のところ便器は正式には展示されず、来場者の目に触れることはなかったのです。デュシャン本人は、それを見届けるように展覧会の委員を静かに辞任しています。
「これは芸術じゃないだろう」
その直感は100年以上前の専門家たちも同じだったのです。
デュシャンは便器を「作って」いない
マルセル・デュシャン《泉》(1917年)。写真家アルフレッド・スティーグリッツが展覧会の直後に撮影した。背景に見えるのはマースデン・ハートリーの絵画《ウォリアーズ》。オリジナルの便器は現存せず、この写真だけが当時の姿を伝えている。, Public domain, via Wikimedia Commons.
では、デュシャンはいったい何をしたのでしょうか。絵の具で美しい色を塗ったわけではなく、大理石を彫ったわけでもない。便器は工場で大量生産された既製品であり、デュシャン自身は何か特別な技術を施してはいません。
彼がやったのは、便器を「本来の場所(トイレ)」から切り離すことでした。向きを90度変え、サインを書き、タイトルを付け、展覧会に送る。それだけです。
仰向けに転がされた便器は、もう便器としては使えません。実用品としての役割を奪われ、ただの「なめらかな白い物体」としてそこにある。
それでも便器は便器です。
ここまでは「だから何なの」と思われるかもしれませんが、デュシャンの試みによって美術界に根源的なある問いが生まれてしまいました。
