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ガッツ石松さん死去で蘇る 陣内智則への「幻の右」

ガッツ石松さん死去で蘇る 陣内智則への「幻の右」

ボクシング元WBC世界ライト級王者で、タレントとしても活躍したガッツ石松さん(本名鈴木有二)が令和8年6月2日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。76歳。所属事務所が11日に発表した。「ガッツポーズ」という言葉を全国に広めるきっかけを作ったチャンピオンの訃報を受けて、Xに「ガッツ石松亡くなったの」「ガッツさんマジ」「ガッツ石松氏」がトレンド入りするなど驚きと悲しみの声が相次いだ。そんななか、多くの人が同時に思い起こしているのが、お笑い芸人・陣内智則との間にあった「奇妙な縁」だ。

お笑い界に刻まれた伝説「幻の右」事件

ガッツさんを語るうえで近年欠かせないのが、前述した陣内との「奇妙な縁」だ。2026年2月7日放送のMBSテレビ「痛快!明石家電視台」(土曜午後3時=関西ローカル)に出演した陣内は改めてこの“衝撃”を振り返っている。

事件は2004年、日本テレビの各番組の出演者が集まって行うクイズ特番で起きた。当時「エンタの神様」(日本テレビ)でブレークし、初めて全国区の特番に出演した陣内は、ひな壇でガッツさんが小声でボケ続けているのに対し「何言ってるんですか」「うるさいですよ、ガッツさん」とツッコみ、掛け合いのリズムができていると手ごたえを感じていたという。

いよいよ番組企画の進行が始まり、「伊東家の食卓」チームのトミーズ雅がルール説明をしているタイミングでも「ガッツさんがずっと僕にボケてきたんですよね。明らかに邪魔になってるんですよ、ガッツさんの言葉が。これはチャンスやと。いいタイミングで『やかましいわ!』ってツッコんだら、ウケるやろうなって」と考えたという。「今やと思って『やかましいわ!』って、頭パチンとたたいたら、そこからもう『幻の右』がパーンって。ひざガーン、エルボー、ガーンって」と語る通り、元世界王者の反射がそのまま直撃。ボコボコに殴られてしまい、結局スタッフが止めに入ったが、ガッツさんはスタジオを後にした。収録は一時中断となる事態に発展した。

その後、ガッツさんに謝罪したところ仲良くなり、ガッツさんと2人で特番もできるようになった陣内は「ボクサーの頭を叩くというのは反射的に(カウンターが)来るんですよね」と回想。しかし、その一件のおかげで爆笑問題や出川哲朗といった会ったことのない人たちが声をかけてくれ、芸能界での名前が広まったという。

この強烈なエピソードは、2023年の大みそかに放送された日本テレビ系「日本テレビ開局70年特別番組 笑って年越し!THE 笑晦日」でも取り上げられるなど、伝説の名場面として今なお語り継がれている。

3度目の挑戦でつかんだ世界王座と引退後の活躍

ガッツさんは1949年、栃木県粟野町(現・鹿沼市)で生まれたガッツさんは、66年にプロボクシングデビュー。74年、3度目の挑戦でWBC世界ライト級チャンピオンの座をつかんだ。その後5度の防衛に成功し、78年に引退。通算成績は51戦31勝17KO14敗6分だった。

リングネームの「ガッツ」は、所属のヨネクラジムの米倉健司会長からの提案。米倉氏は、ガッツさんが世界王者になるために最も欠けているのが根性(ガッツ)だからと名付けたという。さらに、実績ある伝説のトレーナー・エディ・タウンゼント氏とともに頂点まで駆け上がった。

引退後は、さまざま飲食店などの経営に乗り出したが、ことごとく失敗。活躍の場を芸能界に求めた。スティーブン・スピルバーグ監督が手がけた「太陽の帝国」、リドリー・スコット監督作品「ブラックレイン」といったハリウッド映画に出演し、「おしん」「北の国から」などの国民的ドラマにも登場した。バラエティー番組でも活躍し、「OK牧場」という決め台詞と「ガッツポーズ」という言葉を全国に広めるきっかけを築いた。96年10月の第41回衆院選では自民党公認で旧東京9区から出馬したが、落選している。

配信元: iza!

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