親友のしあわせをねがう
一方、うわさで聞いたところによると、マサさんのお店は独立後、経営不振ですぐに閉店したそうだ。
彼はその後、また別の既婚女性に声をかけていたのだとか。
私の直感は正しかった。彼は、依存してくれそうなターゲットをさがし回る、ただの「承認欲求の塊」だったのだ。
私の日常も、以前と変わらずおだやかに過ぎている。 夫の宗太と、夕飯の献立を話しながら、ふと思った。
(しあわせって、刺激的な恋心の中にあるんじゃなくて、この何気ないやり取りのつみかさねの中に、しずかに息づいているものなんじゃないかな)
「ねえ宗太、たまにはおしゃれして…2人でディナーに行かない?」
「お、めずらしいな。いいよ、行こうか」
私は心の中で、親友のしあわせを改めて祈った。
(奈々、もう二度とまよわないで。あなたの本当の価値は、だれかにうばわれることにあるんじゃなくて、自分自身の手でしあわせを守り抜くことにあるんだから)
今日も空は青く、すみわたっている。 私たちの未来も、この空のようにさわやかにつづいていく…そう信じている。
あとがき:足元に咲く小さな幸せを、踏みにじらないために
奈々の家庭には再びおだやかな時間がながれ始めました。マサがただの「承認欲求の塊」だったという結末は皮肉ですが、これが現実のきびしさでもあります。
しあわせは、「ドラマチックな刺激」ではなく、夫婦の「何食べたい?」という会話や、子どもと歩く公園の中にこそ宿っているもの。一途さは、こわすためではなく、守るために使うべき才能なのだと、おしえられます。
青空の下、自分たちの足で歩き出す2人の未来に、心からのエールをおくりたくなります。
※このお話は、ママリに寄せられた体験談をもとに編集部が再構成しています。個人が特定されないよう、内容や表現を変更・編集しています
記事作成: ゆずプー
(配信元: ママリ)

