それでも、似た空気があるのはなぜか
ただしドビュッシーがどれだけ怒ったとしても、モネの睡蓮と《水の反映》のあいだには、否定しがたい共鳴があります。モネは「見えるもの」を、ドビュッシーは「見えないもの」を。
たしかに二人の出発点は正反対でした。それなのに彼らの作品からは不思議と同じ「水の光」が感じられます。もしかすると輪郭を手放した瞬間に「見えるもの」と「見えないもの」の境界自体が曖昧になるからかもしれません。
水面の反映をモネが描き分けなかったとき、そこにはもう「見えるもの」だけでなく、光の記憶や水の気配といった「見えないもの」が染み込んでいたのではないでしょうか。
もし美術館でモネの睡蓮の前に立つ機会があったら、輪郭が溶けているあたりを注意して見てみてください。花と、水と、空の境目が曖昧になっている場所です。
クロード・モネ《睡蓮、夕日》(1907年頃、ナショナル・ギャラリー、ロンドン)。夕日の光が水面に揺れ、睡蓮の葉と柳の反映が混ざり合っている。, Public domain, via Wikimedia Commons.
ドビュッシーの音楽を聞いたあとなら、あの溶けた場所に目では分からない、何かが「見える」かもしれません。

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