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【配信映画3選】有名日本人画家と作品が身近に!アートな映画で人生を味わおう

『HOKUSAI』(2021年)なぜ葛飾北斎は「絵師」であり続けたのか?

参照:『HOKUSAI』(2021年)

日本人を代表する浮世絵師、葛飾北斎。しかし資料がほとんどないことから、その生涯はいまだに謎に包まれています。そこで映画『HOKUSAI』は、青年期(柳楽優弥さん)と老年期(田中泯さん)を通じ、恩人や盟友との関係性や、代表作が生まれた経緯を描きました。

青年期の北斎は、ひたすらに「絵が上手くなりたい」という一心でもがいています。柳楽優弥さんの、まさに「血眼」と呼ぶべき演技は、若さゆえの不安定さと執念が入り混じっており、観る者の胸に迫ってくることでしょう。

Enoshimashunbou (1)葛飾北斎《江島春望》(1797年)/東京国立博物館, Public domain, via Wikimedia Commons.

ライバルたちとの対峙も印象的でした。「色気」への執着を剥き出しにする、喜多川歌麿のギラついた視線。道楽で始めたはずが、天性の才能で頭角を現す東洲斎写楽の存在。彼らのオリジナリティーを前に、北斎は「何のために描くのか」と自問自答を繰り返します。

希代の版元(書籍や浮世絵の出版社)、蔦屋重三郎から「お前にしか描けない絵だよ」と認められたとき、北斎は子どものように純粋な喜びをにじませます。わたしたちが自分の価値を探し求める姿とも重なるのではないでしょうか?

物語の後半、彼は代表作のひとつ《江島春望》を描き上げます。「宗理」という落款(浮世絵師のサイン)を使っていた時期でした。全体構図や山、波の描写などに洋風表現が試みられていることから、司馬江漢の影響を受けたと考えられています。繊細な風景描写の中には、後に大人気を博す《冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏》の構図がうかがえますね。

1280px-The_Great_Wave_off_Kanagawa (2)葛飾北斎《冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏》(1830〜1834年ごろ)/東京国立博物館, Public domain, via Wikimedia Commons.

強い衝撃を受けたシーンがあります。青年期の北斎と老年期の北斎が、《怒濤図》を一緒に制作する場面です。「誰の指図も受けず、自分の描きたい人生を描け」。そんな力強いメッセージが、波しぶきとともにスクリーンから溢れ出ていました。

葛飾北斎《怒濤図》より《男浪図》、《女浪図》(1845〜1846年)/上町祭屋台

1834年に絵本『富嶽百景』を上梓した際、北斎は初めて自跋(あとがき)を掲載します。当時75歳だった彼は、さらに精進を重ねて、110歳で画風を完成させるという決意を綴りました。なぜ彼は最期まで「絵師」であり続けたのか。その答えは、彼が遺した作品たちの中に隠されているかもしれません。

『おーい、応為』(2025年)葛飾北斎の画業を支えた「最強の出戻り娘」とは?

参照:『おーい、応為』(2025年)

「江戸のレンブラント」とも称されるほどの才能を持った女性画家がいました。葛飾北斎の娘・お栄(葛飾応為)です。2025年公開の映画『おーい、応為』は、偉大な父の背中を追いながら、彼女が自らの表現を模索し続けた軌跡を描いています。

南沢等明という絵師に嫁いだものの、絵のことで夫と口論になって離縁したお栄。父の工房(長屋)に転がり込むと、毒舌を吐き合いながらの共同生活が始まりました。画業を支え、彩色や仕上げだけでなく、春画や美人画の代作まで務めたといわれています。

960px-Cherry_trees_at_night_(detail)_by_Katsushika_Ōi葛飾応為『夜桜美人図』、絹本着色。江戸中期の女流歌人である秋色を描いたもの。, Public domain, via Wikimedia Commons.

彼女の性格はどう見ても父親ゆずりで、こちらがハラハラしてしまうほどにマイペースです。500歳まで生きられるという「仙人の薬」を買って飲んでみたり、道端で出会った犬を拾ってきて飼い始めたり......。周囲の心配を知ってか知らずか、のらりくらりと日々を過ごします。

しかし、兄弟子の魚屋北渓(初五郎)から「結婚前に描いていた美人画が好きだった」と言われたり、母から北斎のお古の絵筆をもらったりと、お栄は画界へ再び導かれていきました。北斎を慕っていた友人の絵師、渓斎英泉(善次郎)の存在も大きかったことでしょう。

あるシーンが忘れられません。犬を抱いて眠る北斎と、金魚を描くお栄。すると北斎は「こんなに暗いとよく見えないから、お天道様が出てからにしなさい」とやさしく伝え、お栄も珍しく従います。そして北斎は、枕元のお茶を飲んで「仙人になるんだよ」と笑うのでした。

彼女を代表する逸品といえば《吉原格子先之図》です。「17世紀のレンブラント・ファン・レインやヨハネス・フェルメールを思わせる」「吉原の浮世絵でもっとも美しい」など、凝縮された創意工夫で多くの者を魅了してきました。

1280px-Yoshiwara_Kōshisakinozu (1)葛飾応為《吉原格子先之図》(1818〜1860年)/太田記念美術館, Public domain, via Wikimedia Commons.

江戸の遊郭街、吉原。遊女たちが店先で格子の内側に座り、男たちからの誘いを待っています(張見世)。提灯の明かりと人々の影は、画面全体に光と闇のグラデーションを生んでいますね。男女の人間関係にはじまり、何かが絡み合う予感をまとっていて、奥行きと艶やかさのある作品です。

当時の浮世絵の常識からは大きくかけ離れた作品ですが、だからこそ彼女は「江戸のレンブラント」として評価されるようになったのでしょう。葛飾北斎の娘としてではなく、葛飾応為として絵を描くという決意が強くなる出来事だったのだと思います。

人生の終わりに近づく中、北斎は「死んでもいいから全身で富士の美しさを感じて描きたい」と絞り出すように語ります。数え切れないほどの転居を繰り返し、風まかせに生きてきた親子。お栄が最後に選んだのは、父の傍らで「葛飾応為」として絵を描き続ける道でした。

北斎の亡骸が握りしめている筆を、「もういいんだよ」とお栄はそっと剥がします。その様子からは、血の繋がりを超えた、葛飾北斎という一絵師に対する深い尊敬が感じられました。映画『おーい、応為』を観ると、「最強の出戻り娘」が浮世絵と葛飾北斎を愛した理由に触れられるかもしれません。

配信元: イロハニアート

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