料理研究家・管理栄養士として18年間キューピー3分クッキングに出演し、約1400ものレシピを届けてきた藤井恵さん。多くの家庭で愛されるロングセラー『藤井弁当』の著者でもあります。しかしその裏には、100円の集金もできなかった極貧時代、仕事と子育てで入学金を払い忘れるような日々がありました。一時期は「怒りながら料理を出していた」と振り返る藤井さんが、どうやって「楽しく作る」ことを取り戻したのでしょうか。クックパッドのポッドキャスト番組「ぼくらはみんな食べている」で語ってくれました。
占いで進路を決めた食いしん坊。いざ、料理の世界へ
藤井さんが育ったのは、川崎市柿生。庭には何本も柿の木があり、秋になるともぎたての実にかぶりついていました。加えて、親戚から届く宮城産ササニシキは、おかずなしでご飯だけ何杯でもいけてしまうおいしさ。親から「ポンポンでっかいさん」と呼ばれるほどの食いしん坊でした。
そんな藤井さんが夢中だったのは、テレビの料理番組。「きょうの料理」「キューピー3分クッキング」「料理バンザイ!」……画面の中で料理が仕上がっていく工程を、ご飯を待ちながら見ていたといいます。
「材料が揃えられていて、切って、調味料入れて、加熱して、仕上がって、お皿に盛り付ける。その工程がすごく楽しそうで。いつもテレビの中の料理を見て、食べたいなと思っていました」
進学先を考え始めた頃。兄から「女子栄養大学(現・日本栄養大学)に行ったらいいんじゃない」と勧められます。ここには、3分クッキングに出演していた滝口操先生がいました。でも、料理だけでなく、子どもの頃から裁縫も大好きだった藤井さん。料理の道に進むかファッションデザインの道に進むかで、すごく悩んだといいます。
決めきれずに、お母様と二人で向かったのが新宿の占い師。「どっちでもいいけど、料理の方が多分すごく自分自身が楽しめるわよ」と言われ、その場で料理の道に決めました。
女子栄養大学では、大学教授に頼んで紹介してもらい、滝口先生が主宰する料理教室の研究生に。下ごしらえや掃除を引き受ける代わりに、先生のデモンストレーションを間近で見て、作ったものを食べさせてもらえる場です。
「若いから、1度聞いたことってすっと入っちゃう。大好きな先生が教えてくださってるし、刺激だらけ。もう海綿のごとく、いろんなものを吸収していました」
さらには20歳で、憧れのキユーピー3分クッキングのアシスタントをすることになったのです。
100円すらなかった極貧時代。貫いた「メモを取る」習慣
アシスタントの仕事は楽しく刺激だらけ。就職せずに続けたのは、「就職してしまったら、この世界から離れてしまうかも」という思いからでした。
アシスタントを続けるうちに、小田急線でナンパされた方と結婚。その後妊娠し、恩師・滝口先生が3分クッキングを卒業するタイミングも重なって、25歳で専業主婦になりました。そこへバブル崩壊が起こります。自営業だった夫の仕事が入らなくなり、家賃も払えなくなったため、実家へ居候することになったのです。
「その頃、子ども劇場の100円の集金が来たんですね。でもその100円すらも財布になかったんです」
スーパーで買えるのは見切り品だけ。白菜1個、大根1本など、大物野菜を丸ごと買って使い切る生活の中で、藤井さんはある発見をします。3つの食材しかなくても、3品に分けてテーブルに並べると「3つのおかずが並んでると、全然ひもじくない」と気づきます。
豊かさは品数ではなく、並べ方にある。この気づきは後に、藤井さんのお弁当づくりにも生きていきます。
仕事も先行きも何も見えない時期でしたが、藤井さんはお弁当の記録を取り続けました。毎朝作ったお弁当を写真に撮り、現像したフィルムを手書きのノートに貼り付け、イラストを添える。「何かに繋がるかもしれない」という細い糸を、手放さなかったのです。
「どうしても諦めたくない気持ちの中で、もしかしたら、もしものことがあるかもしれないと思って、とにかく全部メモを取っていました」
このお弁当記録が、やがて番組ディレクターの目に留まります。番組に取り上げてもらったことをきっかけに仕事の依頼が入り始めました。2003年には、かつてアシスタントとして出演していた「キユーピー3分クッキング」に料理研究家として出演することに。記録し続けたことで、新たな扉に繋がったのです。

