
息子の幼少期、引っ越し先の発達支援センターで初めて「障害者手帳」の存在を知る(べっこうあめアマミさん作)
【画像】「えっ…?そうだったの……?」 これが「発達障害児」にみられることのある行動です(5つ)
「べっこうあめアマミ」というペンネームでライターとして活動する私は、重度知的障害を伴う自閉症の11歳の息子と、きょうだい児である7歳の娘を育てながら、発達障害や障害児育児について発信を続けています。
現在、息子は特別支援学校の小学6年生です。ここまで来る中で、療育や障害者手帳、福祉手当など、さまざまな支援制度に助けられてきました。しかし、それらは待っていれば自然に案内されるものではありませんでした。子どもの発達に不安を感じ、発達支援センターや病院へ通う中で私が痛感したのは、障害福祉は「申請主義」であること。自分から調べて動かなければ、必要な支援にたどり着けないという現実でした。
障害があるかどうかまだ分からない乳幼児期は、親自身も大きな不安や混乱の中にいるでしょう。そんな中で、どのように動き、支援につながっていったのか。障害がある息子を11年間育ててきた経験を通して、「知らなかった」では済まされない障害児福祉の現実について考えます。
うちの子に障害? 待っていても誰も助けてくれない現実
障害児を育てる中で、私が最も強く感じていることの一つ。それは、「必要な支援は、自分から申請しなければ受けられない」ということです。
特別支援学校に通う息子はこの春、小学6年生になりましたが、ここまで来る中で、療育、障害者手帳、障害福祉関係の手当、ヘルパーやショートステイといった、さまざまな支援制度に助けられてきました。
しかし振り返ると、それらは私がただ待っていれば、誰かが丁寧に教えにきてくれたわけではありません。自分で調べ、相談し、役所へ足を運び、申請をして、初めて利用できたものばかりでした。
特に、子どもの障害がまだはっきりしない乳幼児期は、親自身もわが子の発達に不安を抱え、障害についての理解も乏しく、何においても混乱している時期です。その中で制度を調べ、必要な支援にたどり着くことは、簡単なことではありませんでした。
息子は、生まれてしばらくは、特に大きな問題もなく育っていました。よく食べ、よく眠る、とてもおとなしい子だったのです。
初めて違和感を覚えたのは1歳の頃です。周りの子がよちよち歩き始めても、一向にその気配を見せず、指差しもせず、発語もありませんでした。
同年齢の子どもたちが「ママ」「ワンワン」などと指さしも交えて話し始め、公園で楽しそうに遊んでいる中で、息子は明らかに様子が違いました。遊具には興味を示さず、子どもらしく動き回ることもせず、公園に連れて行ってもただずっとベンチに座っていたのです。
公園でただひたすら静かに座っている…まるでおじいさんだなと思いながら、親として手ごたえのない公園時間を過ごしていました。
息子は、一般的によく持たれがちな「自閉症」「発達障害」のイメージとは違い、動きがとても少ない子でした。そして発語もないけれど発声も少なく、おだやかでかんしゃくもあまり起こさず育てやすかったこともあり、当時は「障害」というより、「発達がゆっくりな子」という認識でいたのです。
保健センターにも相談しましたが、当初言われていたのは「発達遅滞」という言葉でした。
正直、第一子で息子のようなタイプだと、親としても子育てにそれほど困っていないので、すぐに「障害」と理解するのは難しかったと思います。私自身も、漠然とした不安は抱えながらも、「まだ小さいし」と思おうとしていた部分がありました。
しかし、周囲との差は徐々に大きくなっていきました。私は息子を連れて、発達支援センター、保健センター、大学病院と、さまざまな場所へ相談に行きました。今思えば、かなり積極的に動いていた方だったと思います。
そうしてようやく、乳幼児の療育である「児童発達支援」の存在をつかみ、療育に通うために必要な「受給者証」の取得に動き出せたのです。療育も、市区町村が運営している公的なもの以外に民間の事業所もたくさんあることなど、自分から聞いていかなければ誰も教えてくれません。とにかくこちらから詳しく質問しなければ、なかなか情報にたどり着くことができませんでした。
当時の私は、「子どもの発達に問題や障害があれば、必要な制度は自然に案内されるもの」だと思っていた節があります。
しかし実際には、障害福祉は「申請主義」です。つまり、自分で制度を調べ、必要性を理解し、申請して初めて利用できる仕組みになっていたのです。

障害児育児は情報戦、障害児を育てるママ友からの情報で、福祉サービスの最新情報を知って手続きに進めることも(べっこうあめアマミさん作)
福祉における残酷な地域差
また、障害児福祉は、自治体によって情報提供や支援の積極性に差があると感じています。
そのことを強く実感したのは、息子が4歳のときに別の自治体へ引っ越したときでした。
引っ越し先の自治体の発達支援センターに息子を連れて相談に行ったところ、担当の先生から「手帳は持っていますか?」と聞かれたのです。しかし当時の私は、「手帳」が何を指しているのか分からず、ぽかんとしてしまいました。無知だった私はそこで初めて、「障害者手帳」の存在を知ることになりました。
さらに先生からは、「このくらいの発達状況のお子さんなら、何の等級もつかないということはまずないと思います」と言われ、私は大きな衝撃を受けました。息子には、そこまで明確な障害があるのだということ、そして、それほど支援が必要な状態であったにもかかわらず、それまで住んでいた自治体では誰からも障害者手帳について説明を受けていなかったからです。
もちろん、どの自治体も限られた人員の中で対応していると思いますし、こちらが聞かなければ案内しきれない事情もあるのでしょう。うかつに「障害」などと口にして、親御さんを不快にさせたり、頑なにさせたりして余計に福祉から遠ざけてしまう可能性もある、非常にナイーブな問題だと思います。
しかし、親側に知識がなければ、制度そのものの存在に気付けないことがあるのもまた問題だと思っています。
息子はその後、児童相談所に行き、東京都で知的障害がある人に発行される「愛の手帳」を取得しました。
当時は3度(中度)判定でしたが、手帳を持ったことでさまざまな制度を利用できるようになりました。
交通機関の割引、各種助成制度や手当、ヘルパーの利用やショートステイといった支援サービスなど、それまで知らなかった制度が一気につながっていったのです。
都立公園の駐車場や一部のレジャー施設の割引制度が利用できるようになり、息子を連れたお出掛けがしやすくなりました。
さらに息子の特別支援学校入学後、手帳の更新で2度(重度)判定になると、受けられる支援はさらに増えました。新たに申請できる手当も増え、経済的にも助かりましたし、タクシー利用券がいただけたこともありがたかったです。
その頃、私は病気を患い、車の運転ができなくなってしまいましたが、息子は成長とともに自閉症の特性が強く出るようになり、体も大きくなったので、タクシー移動はなくてはならないものでした。
