『エリザベート』の肖像(ヴィンターハルター), Public domain, via Wikimedia Commons.
描いたのは19世紀ヨーロッパの王侯貴族から絶大な人気を集めた画家、フランツ・ヴィンターハルターです。華やかな肖像画で成功を収めたヴィンターハルターですが、当時の美術界からは厳しい目を向けられていました。
なぜ彼は、王族に愛されながら美術界では嫌われたのでしょうか。この記事ではヴィンターハルターの栄光と葛藤に迫ります。
肖像画における成功で夢を奪われる
ヴィンターハルター, Public domain, via Wikimedia Commons.
華やかな宮廷の肖像画で名を馳せたヴィンターハルターは、 天才として王族からの依頼が途切れることはありませんでした。しかしその一方で、彼は芸術家でありながら理想を描く職人として扱われるようになり、本来描きたかった絵から少しずつ遠ざかっていきます。
やがて成功の影で創作の自由を失い、晩年にはほとんど筆を取ることもなく、発疹チフスにより静かに生涯を終えました。
華やかさで魅せる天才・ヴィンターハルター
肖像画とはただ人物の顔を描くだけのものではありません。その人がどのような性格を持ち、どのような立場にいるのかまでを、絵のなかに静かに映し込む役割があります。そのためには、実物に忠実であることと、より美しく見せることの両立が欠かせません。
ヴィンターハルターはまさにそのリアル×理想のバランス感覚に長けていました。彼はモデルとなる人物の特徴をきちんと捉えながらも、実際よりもずっと魅力的に見えるように仕上げています。さらにドレスや装飾には当時の流行を取り入れるなど、華やかな演出も魅力です。
ヴィンターハルターによる肖像画は「似ているのに、現実より美しい」と評され、王侯貴族から絶大な信頼を集めていきました。
ヴィクトリア女王も夢中!王族たちから依頼が殺到
ヴィンターハルターの名声は、ヨーロッパ中へと広がっていきます。彼が仕えた人物のなかには、1830年の七月革命を経てフランス国王となったルイ・フィリップや、ナポレオン1世の甥として知られるナポレオン3世の姿もありました。
『ルイ・フィリップ』の肖像(ヴィンターハルター), Public domain, via Wikimedia Commons.
『ナポレオン3世』の肖像(ヴィンターハルター), Public domain, via Wikimedia Commons.
さらにヴィンターハルターの人気を決定づけたのが、イギリス王室との深い結びつきです。彼は1842年に初めてイギリスを訪れて以降、ヴィクトリア女王とアルバート公、その子どもたちを描くため何度も英国を訪問しました。生涯で120点以上もの作品を手がけたといわれています。
『ヴィクトリア女王』の肖像(ヴィンターハルター), Public domain, via Wikimedia Commons.
なかでも有名なのが、現在もバッキンガム宮殿で公開されている『ヴィクトリア女王』です。赤と金の豪華なドレスに身を包み、王冠を被った女王は、玉座にゆったりと腰掛けています。ダイヤモンドのネックレスとイヤリングがきらめき、王としての威厳と気品が表現されています。
成功するほど描きたい絵から遠ざかる
『デカメロン』(ヴィンターハルター), Public domain, via Wikimedia Commons.
宮廷肖像画家として成功したヴィンターハルター。しかし本人は、最初から肖像画家として生きることを望んでいたわけではありませんでした。彼にとって王侯貴族からの依頼は、本来目指していた歴史画や宗教画といった、より評価されるジャンルへ進むまでの通過点に過ぎないと捉えていたとも言われています。
その思いは『デカメロン』のような作品にも表れています。本作は緑あふれる庭園の中で、華やかな衣装をまとった男女が語らう様子を描いており、ラファエロ風の古典的で保守的な絵です。流行を意識した肖像画とは異なり、芸術作品として認められたいというヴィンターハルターの理想が感じられます。
『フロリンダ』(ヴィンターハルター), Public domain, via Wikimedia Commons.
また時代の変化で王朝が揺らぎ、肖像画の注文が減った際には、ヴィンターハルターは再び歴史画の世界へ戻ろうとします。その代表作のひとつが『フロリンダ』です。スペインの伝承をもとに美しい女性たちを描いた本作では、宮廷画家としてではなく、1人の芸術家として自由に表現しているようです。
一方で時代が移り変わるたびに、ヴィンターハルターは再び宮廷に求められ、表舞台へ引き戻されていきました。ナポレオン3世が即位すると、フランス皇室の主席宮廷画家として人気を集めます。評価が高まるほど、彼はますます“美しく見せる宮廷画家”という役割から離れられなくなっていったのかもしれません。
綺麗でも美術界では高く評価されなかった
ヴィンターハルターの肖像画は多くの王侯貴族を魅了した一方で、当時の美術界では彼の作品を認めませんでした。なぜ、これほど人気を集めた画家が高い評価を得られなかったのでしょうか。そこには19世紀の美術界特有の価値観と、美しすぎる絵に向けられた複雑な事情がありました。
19世紀美術界には格付けがあった
現在では「どんな絵が優れているか」は人それぞれの感性による部分が大きいものの、19世紀のヨーロッパ美術界には絵画ジャンルの格付けが存在していました。そのなかでも最も高い位置に置かれていたのが「歴史画」です。古代の歴史や聖書、ギリシア・ローマ神話といった壮大なテーマを描くジャンルで画家には高度な技術だけでなく、文学や宗教、歴史の知識も求められました。
一方でヴィンターハルターが活躍した肖像画も、決して低いジャンルではありません。むしろ歴史画に次ぐ格式を持つ分野とされ、王侯貴族や宗教関係者など社会的地位の高い人物を描く重要な役割を担っていました。しかし当時の美術界ではどれほど人気を集めても、肖像画は歴史画には及ばないジャンルという見方があったようです。
「綺麗すぎる」と批判された宮廷肖像画
ヴィンターハルターの描く肖像画は、とにかく華やかで美しいものが多くあります。彼は王侯貴族たちが「こんなふうに見られたい」と願う理想の姿を丁寧に仕上げました。
また人物のポーズはまるで舞台のワンシーンのようで、豪華なドレスの生地や毛皮、宝石までもが主役のように描かれています。ヴィンターハルターは質感表現にも非常に優れており、美しく見せる技術においては群を抜いていました。
『イギリス王太子妃アレクサンドラ』の肖像(ヴィンターハルター), Public domain, via Wikimedia Commons.
『ベルギー王妃マリー=アンリエット』の肖像(ヴィンターハルター), Public domain, via Wikimedia Commons.
しかし、その完成度の高さこそが批判の対象にもなりました。当時の一部の評論家たちは、彼の作品を「表面的な美しさに偏っている」と見なし、「貴族への媚びではないか」「芸術というより豪華な装飾に近い」と厳しく評価しています。多くの人を魅了する美しさは、必ずしも美術界で高く評価されるわけではありませんでした。
