「中咽頭がん」は、喉の奥にできるがんで、近年はHPV(ヒトパピローマウイルス)との関連が注目されています。一方で、HPV陰性でも発症するケースがあり、若い世代でも決して珍しい病気ではありません。SNSで闘病のリアルを発信するマノートこと真野さんは、結婚からわずか4カ月後に中咽頭がんステージⅣと診断されました。抗がん剤・放射線治療、肺転移、さらに脳転移による2度の開頭手術を経験。次々と訪れた試練のなかで、真野さんは何を感じ、どう病気と向き合ってきたのでしょうか。現在も治療を続ける真野さんに、闘病の日々と同じ病気で苦しむ人への思いを伺いました。
マノート(元お笑い芸人、現会社員)
1987年生まれ。2024年1月に結婚し、同年5月に中咽頭がんステージⅣと診断。抗がん剤・放射線治療を経て肺転移が発覚。さらに脳転移が判明し、脳腫瘍摘出手術を2度(2026年2月・4月)受ける。現在も全脳照射による治療を継続中。X、Instagram、YouTubeなどで闘病の様子、楽曲などの配信もしている。https://www.instagram.com/manoteproject?utm_source=ig_web_button_share_sheet&igsh=ZDNlZDc0MzIxNw==
喉の違和感から「中咽頭がんステージⅣ」の診断へ
編集部
最初の症状と診断の経緯について教えてください。
真野さん
最初は喉の痛みでした。風邪かコロナの再感染かと思ってクリニックを受診しました。しかし、熱が下がっても痛みが続きました。耳鼻咽喉科に変えて診てもらいましたが、扁桃腺(へんとうせん)の腫れが改善せず、大きな病院を紹介してもらいました。そこでCT・MRI・生検(せいけん)を受け、2024年5月に診断が付きました。
編集部
がんの告知を受けたときの状況を教えてください。
真野さん
2024年1月に結婚して、まだ4ヶ月しか経っていないタイミングでした。最初は一人で説明を聞いたのですが、先生から「ご家族も呼びますか」と言われて、待合室にいた妻を呼んで2人で聞きました。「なんでこのタイミングで」という気持ちはありましたが、それよりも「これからどうすればいいんだろう」という不安の方が大きかったですね。
編集部
どのような治療を受けましたか?
真野さん
診断の翌月から、抗がん剤3クールと放射線治療(35回)を同時に実施しました。
編集部
治療による副作用はいかがでしたか?
真野さん
いちばん辛いと感じたのは飲み込みづらさと味覚の変化です。パンのような乾いたものが食べられなくなり、白米の匂いがだめになる時期もありました。「食べられないけど食べなければ」という状態が続きましたが、何とか3クールやり切りました。
肺転移から脳出血へ。2度の開頭手術を経て、治療を続ける現在
編集部
その後、肺転移が判明したとのことですが、治療はどのように進みましたか?
真野さん
治療が一通り終わった2024年11月頃から、肺転移に対する治療として免疫チェックポイント阻害薬を開始しました。ただ、十分な効果が得られず、2025年4月に治療を中断しました。その後、遺伝子パネル検査でHER2(ハーツー)というたんぱく質の過剰発現が確認され、2025年5月からエンハーツという抗HER2薬の治験に参加しました。CTを撮影するたびに少しずつ縮小が確認できましたが、副作用として間質性肺炎(かんしつせいはいえん)を発症したため治療を中断し、その後はステロイド治療を受けながら経過観察に切り替えました。
編集部
脳転移はどのように発覚したのですか?
真野さん
2025年末に、病院から突然電話がかかってきました。定期CTの結果で頭に転移が見つかった、という連絡でした。症状は全くありませんでした。年明けに予約を入れてもらっていたのですが、2026年1月3日の朝に起きたら手足の動きが自分の思い通りにならない感覚があって。以前、脳梗塞になった友人から「自分が思うように動けない」と聞いていたので、すぐに「同じだ」と直感して、妻に伝えて救急車を呼んでもらいました。
編集部
その後、2度の手術を受けたと伺っています。
真野さん
搬送先でがんのある部位から脳出血が起きていると診断されました。放射線での治療を予定していたのですが、途中でてんかん発作が起き腫瘍が急拡大したため、手術に切り替えて1回目の摘出を行いました(2026年2月)。その後も周囲に腫瘍ができ、再びてんかんが起きたため2026年4月に2回目の開頭手術を受けました。現在は全脳照射(ぜんのうしょうしゃ)という放射線治療を平日毎日受けながら経過を見ています。
編集部
一番辛かったことを教えてください。
真野さん
1回目の手術で入院する直前に、妻と大きな喧嘩をしてしまって、「離婚」という言葉まで出た状態のまま入院になってしまったんです。入院中は何もできないまま、妻のことを思いながら治療を受けていました。病気そのものよりも、大切な人を傷つけたまま何もできないという状況が、あの時期いちばんつらかったことです。

