大人になって問い直した教育の意味
大人になった今、あれは本当に教育だったのだろうかと考えます。もちろん、食べ物を大切にすることや、苦手なものにも挑戦することは大事です。でも、それは誰かの心や体を追い詰めてまで教えるものではないはずです。教育とは、できないことを責めることではなく、その子の限界や個性を理解しながら少しずつ広げていくことではないか。あの頃の私は、「食べられない自分はダメなんだ」と思い込まされていた気がします。その思い込みは、大人になっても長く自分を縛るものでした。
わが子には無理強いしたくない
だからこそ、自分の娘や息子には違う形で向き合ってきました。お腹がいっぱいになったら無理に食べなくてもいい。その代わり、食後のデザートはなしにして、苦手なものは小さくていいから最低二口食べる。それがわが家のルールでした。完璧に食べ切ることよりも、自分の体の声を聞くこと、少しずつ挑戦することを大切にしたかったからです。あの頃の自分が欲しかった「わかってもらえる安心感」を、自分の子どもたちには渡してきたつもりです。大人になった娘も息子も食べることが大好きで、いつも帰省の際には美味しいものを買ってきてくれ、それが私の楽しみの一つになっています。
時代が違えば、当たり前も変わることを改めて感じました。あの頃、「厳しさこそ教育」と信じられていたことも、今振り返れば子どもの心や体に大きな負担を与えていたのかもしれません。大切なのは、過去を否定することではなく、そこから何を学び、次の世代にどうつないでいくかです。食べることが苦痛ではなく、安心や楽しさにつながるものになるように。A子さんの経験は、そんな「本当の教育とは何か」を問いかけているように感じます。
【体験者:60代・女性パート、回答時期:2026年6月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:ichika.K
2児の育児を機に、ママの悲喜こもごもを描くライターとしての活動をスタート。子育てメディアなどの執筆を経て、独立し現在はltnでコラムを連載中。大手企業の総合職でのOL経験、そこから夫の単身赴任によりワンオペでの育児を行った経験から、育児と仕事を両立するママの参考になる情報を発信すべく、日々情報をリサーチ中。

