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【闘病】風邪だと思った不調が『急性リンパ性白血病』。死の恐怖を超え歌い続ける今

【闘病】風邪だと思った不調が『急性リンパ性白血病』。死の恐怖を超え歌い続ける今

橋本さんが急性リンパ性白血病と診断されたのは、看護師として働き始めて1年目、30歳のときでした。長期にわたる抗がん剤治療、体力の喪失、再発への不安——。闘病を経た今も、橋本さんは看護師として働きながら、自らの経験を歌に込めて届け続けています。「暗闇の中で涙を流す人、前に進もうと必死にもがく人へ。今を生きてほしい」。そう語る橋本さんに、発覚から診断、治療、そして現在までの歩みについて聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2026年1月取材。

橋本さん

体験者プロフィール:
橋本瑞紀さん

1987年生まれ、群馬県在住。看護師1年目だった2018年2月、急性リンパ性白血病と診断される。抗がん剤治療を経て、現在は寛解(かんかい)を維持。看護師として働きながら、入院中に作り始めたオリジナルソングを歌い続けている。

気付けなかった体のサイン

クリーンルームにて。同僚からもらったプレゼントと共に

編集部

最初に体の異変を感じたのは、いつごろだったのでしょうか?

橋本さん

2018年1月上旬です。風邪のような症状が続いていたものの、当時は仕事が忙しく、なかなか病院に行けなかったため、のどの痛みや咳は市販薬を飲んでしのいでいました。2月に入っても一向に体調が戻らず、強いむくみやだるさが表れるようになったんです。テレビドラマで見るような鼻血やアザはなかったので、「なかなか薬が効かないな」と思いながらそのまま様子を見ていました。

編集部

受診された病院は勤め先だったのでしょうか?

橋本さん

はい。以前、自分が勤務する病院で甲状腺の手術を受けており、術後の定期通院も同じ病院だったため、まずは看護師長に相談して受診し、採血をすることになりました。

編集部

採血の結果は、どうだったのでしょうか?

橋本さん

数値があまりにも異常だったため、結果を見た看護師長が急いで産業医に連絡し、私を外来の診察室に呼んでくれたんです。当時の担当医も、午後の予約患者さんが大勢いたにもかかわらず、すべて後回しにして私を最優先で診察し、すぐに大学病院との連携を取ってくれました。
しかし、その日は金曜日の午後だったため、すぐには大学病院へ行けませんでした。そこで、「土日は絶対に家から出ないこと」を約束し、もし熱が出たり急変したりした場合はすぐに職場の病院に入院できる体制を整えてもらった上で、いったん帰宅することになりました。
土日の間は、体がだるくて仕方がなく、頭痛で頭が割れそうになりながらも、体調が少しよいタイミングを見計らって入院の準備を進めました。ただ、一緒に暮らす両親を心配させたくない一心で、家ではずっと気丈に振る舞い続けました。「白血病かもしれない」ということは、離れて暮らす妹にだけ伝えておきました。
そして週明けの月曜日、改めて職場の病院で医師から説明を聞いた後、妹に迎えに来てもらい、そのまま大学病院へと送ってもらいました。このときも、両親にはまだ内緒のままでした。

長期治療への覚悟と心の支え

長期治療への覚悟と心の支え

抗がん剤治療1クール目

編集部

診断を告げられたときの状況を教えてください。

橋本さん

点滴につながれ、ぐったりしている私のところに、家族と医師、看護師が入ってきました。ふと気付くと、そこには目を真っ赤にして「ごめんね、ごめんね」と涙を浮かべた家族の姿があって……。意識が遠のいていて状況がまったく理解できていませんでしたが、ただごとではないことは分かりました。
テーブルの上にある医師からの説明用紙には「急性リンパ性白血病」という文字。それを見た私は「また看護師に戻れますか? 働けますか? 元気になりますか?」と聞き、医師は「やるだけのことはやろう」と答えてくれました。
急性リンパ性白血病、白血球数19万4000/μL、芽球(がきゅう/成熟しきっていない血液細胞)94%。その数値を聞いても、聞き間違いかと思うほど現実味がありませんでした。

編集部

どのように治療を進めると、医師から説明がありましたか?

橋本さん

本来であれば、すぐにでもクリーンルーム(無菌室)で抗がん剤治療を始めたいところだったそうです。しかし、私はインフルエンザにかかっていたため、クリーンルームに移ることはできませんでした。まずはインフルエンザの治療と並行して、ステロイドパルス療法(短期間に大量のステロイドを点滴する治療)で白血球と芽球の数を減らすという説明を受けました。

編集部

治療は順調でしたか?

橋本さん

私の場合、ステロイドは思ったほど効きませんでした。そこで、抗がん剤も効かない可能性を想定し、骨髄移植のドナー探しも並行して始めることになりました。入院4日目には髄注(ずいちゅう/背骨の中に抗がん剤を直接注入する方法)で抗がん剤を投与し、8日目にクリーンルームへ移動し、9日目から本格的な抗がん剤治療が始まりました。
入院治療は全部で6クール(1クールは治療の一区切り)、その後、外来での抗がん剤治療が2年間続くと聞きました。抗がん剤では脱毛も経験しました。末梢神経障害(まっしょうしんけいしょうがい/手足のしびれや痛みなどが起こる、抗がん剤の副作用の一つ)による痛みは発症から5年間続き、今は飲み薬でやわらげています。
抗がん剤の副作用はひととおり経験することが見込まれていたためか、医師からは具体的な説明はなく、「副作用は出現したものが副作用だよ」とだけ言われました。今思えば、不安だらけだった私への配慮だったのかなと思います。

編集部

入院中、印象に残っている出来事を教えてください。

橋本さん

入院4日目の夜中、隣の部屋から心電図のアラーム音と、家族が大声で患者さんに呼び掛ける声が聞こえました。しばらくして、ストレッチャーに乗せられた白い布——人が亡くなった現実を、目の当たりにしてしまったんです。
まだ抗がん剤治療が始まっていない段階で、生と死を身近に感じました。その日から死に対してとても敏感になり、夜になると怖くて眠れず、涙が止まらないこともたびたびありました。そのときの記憶は鮮明に残っていて、今でも寝るのが怖いと感じることがあります。

編集部

発症後、生活にどのような変化がありましたか?

橋本さん

抗がん剤の副作用で、ベッドの上で寝返りを打つだけでも吐き気をもよおすことが多々ありました。入院中は、病室内のトイレに行くのに、5歩ほどの距離でも看護師に歩行介助をお願いしなければいけないくらいになったんです。
一時退院で家に帰っても、階段はもちろん、浴槽や玄関の段差を乗り越えることさえ難しく、床から立ち上がることもできませんでした。退院後も体力をつけようと努力しましたが、以前のようには動けませんでした。

一時退院をしたころ

一時退院をしたころ

編集部

病気と向き合う上で、心の支えになっているものは何でしょうか?

橋本さん

オリジナルソングづくりです。6クールある入院治療の4クール目のことでした。医師から「もし病気が見つからなければ、7日~10日で命が尽きるところだった」と伝えられたんです。その日から、「このまま治療がうまくいかずに死んでしまうのはもったいない、何か生きた証を作ろう」と思い、特技のピアノを生かして、生まれて初めて作詞・作曲に挑戦することにしました。これが私なりの病気との向き合い方だったのだと思います。
医療従事者をはじめ、たくさんの人の励ましや温かい声、優しさは、不安でいっぱいだった私の心を少しずつ溶かしてくれました。人のぬくもりを実感でき、感謝しています。

編集部

もし、症状が出始めたころの自分に声を掛けられるとしたら、どんな言葉を掛けますか?

橋本さん

まず、「あのとき、曲を作ろうと思えたことは本当に奇跡だね! 今ではたくさんの人に聴いてもらえて、SNSで投稿もできているよ!」と伝えたいです。
あとは、「大丈夫、ちゃんと頑張って治療を乗り越えられるから! 夜中に泣くと目がパンパンに腫れちゃうから、泣いちゃったときは冷やしてね(笑)」と声を掛けたいと思います。

配信元: Medical DOC

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