椎名林檎、RIP SLYMEのケース
椎名林檎のケースも同様です。ヘルプマークは、病気や障害など外見からは分かりにくい事情を抱えた人が支援を受けやすくするための公共性の高いユニバーサルデザインです。それを商品として転用したことに対しては、「表現の自由」という以前に、公共性を私的な利益へ転換しているという批判が集まりました。
旭日旗のデザインについても、ネット上で大きな議論になることは容易に予想できました。それでも椎名林檎というアーティストであれば、そこには何らかの思想や美学が込められているのだろうと期待した人もいたはずです。
しかし結果として本人から十分な説明はなく、ヘルプマークを模したグッズはデザイン改訂されました。特に対応のない旭日旗デザインも含め、作品そのものよりも、撤回という結末だけが強く印象に残ったのです。
RIP SLYMEのケースでは、その軽さはさらに際立っていました。
「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」は、単なる選挙スローガンではありません。2021年には、その支持者らによる連邦議会議事堂襲撃事件という、アメリカ民主主義を揺るがす出来事とも深く結び付いた言葉です。その歴史を踏まえれば、2025年になってなお、そのフレーズを気軽なパロディとして商品化した感覚には違和感を覚えざるを得ません。
しかも、販売中止に際してメンバーやスタッフ、レコード会社から十分な説明はありませんでした。ただオンラインストアから商品が削除されただけです。
そこには、表現に対する覚悟も、ユーモアに対する責任も感じられませんでした。際どさだけを借りながら、その意味を最後まで引き受ける意思は見えなかったと言われても仕方がないでしょう。
覚悟なき「表層的な引用」の危うさ
今回のTHE YELLOW MONKEY、椎名林檎、RIP SLYMEの一連の事例から見えてくるのは、日本のポップミュージックが、表層的な引用や挑発の遊戯にとどまりがちであるという危うさです。もちろん、音楽そのものの価値まで否定されるべきではありません。しかし、グッズもまたアーティストの表現の一部である以上、そのデザインやメッセージには作品と同じだけの思想と責任が求められる時代になっています。
いま、J-POPは世界市場への進出が盛んに語られています。だからこそ必要なのは、日本のファンだけが共有する暗黙の文脈ではなく、多様な文化や歴史を持つ人々にも通用する、新たな表現のコードなのではないでしょうか。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4

