取材レポート【京都文化博物館】『マリメッコ展 模様のちから Marimekko: Art of Printmaking -Beauty, Dream, Love』「花柄」に否定的だった?「ウニッコ」の誕生秘話から読み解く

展示風景

右も左も可愛いドレスばかりでキョロキョロしながら会場を歩いていたのですが、そんななか、ある一枚のキャプションに目が留まりました。

そこには、「マリメッコの創業者は花柄のパターンに否定的だった」とあります。

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マリメッコと聞けば「ウニッコ」という花柄をイメージする人も多いはず。それほど花柄のイメージが強いブランドですが、創業まもない頃は、むしろ花柄は避けられていたのです。

ウニッコが生まれたのは、そうした環境であえて花柄に挑んだ1人のデザイナーがいたから。その誕生秘話を手がかりに、本展が掲げる「模様のちから」を読み解いていきましょう。

花が好きなのに花柄を作らなかった理由

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1951年にマリメッコを創業したアルミ・ラティア。決して花を嫌っていたわけではなく、花が大好きだったそうです。花を贈り物にしたり、マリメッコの社内に生花を飾ったりしていました。

だからこそ、テキスタイルにおける「花柄」にも一家言あったよう。「花はあまりにも美しく、テキスタイルに表現するにはふさわしくない」という考えがあり、野生の花の意匠を生地に取り入れようとはしませんでした。

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また、創業当時の世間では小さくて可憐な花柄が流行していたそう。新しくて大胆なものを創造しようとしていたマリメッコにとって、流行りを真似することは眼中になかったのです。

こうした背景があり、花柄プリントはマリメッコでは扱われていませんでした。ところが、1人のデザイナーが花柄に挑戦。その人こそ、「ウニッコ」の生みの親であるマイヤ・イソラです。

あえて花柄に挑んだデザイナー、マイヤ・イソラ

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マイヤ・イソラは創業期からマリメッコを支えたデザイナーのひとりで、彼女がデザインしたパターンは全部でなんと500を超えるそうです。ラティアとも深い交流があり、彼女の花柄への考え方も知らなかったわけではないと思われますが、それでもイソラはマリメッコで花柄に挑みました。

ときは1964年。イソラは花を写実的に描くのではなく、抽象化していくつかのデザインへ落とし込みました。彼女が生み出した大胆かつ躍動感のあるパターンは従来の花柄の枠にはまらず、新しいものを創造するマリメッコの方針とも調和。花柄に否定的だったラティアにも認められました。

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そのうちの1枚が、こんにちのマリメッコを代表する「ウニッコ」です。

ウニッコとは、フィンランドで「ケシの花」のこと。ですが、実物のケシの花の造形に捉われないデザインで、シンプルかつ抽象的なのに溢れんばかりの生命力を感じられます。赤とピンクの大ぶりな花びらが白い生地を埋め尽くすパターンは、それまでのマリメッコにもなかった前衛的なものでした。

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これを機にマリメッコでは花を抽象化したパターンが開拓されるようになり、ウニッコはその伝統の出発点にもなりました。特定の時代や様式に縛られないデザインで、今もさまざまなプロダクトに使われる定番のパターンとなっています。

配信元: イロハニアート

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