【2026年夏・新宿】SOMPO美術館『山口華楊展』レポート!花鳥画家が生涯描き続けた「生命の美」とは

山口華楊 《幻化》山口華楊 《幻化》 1979年 紙本彩色 155.7 ×171.1cm SOMPO美術館

山口華楊は、戦後の京都画壇で活躍した日本画家で、動物や植物を描く花鳥画を得意としていた。関東では馴染みが薄い華楊だが、展覧会ではSOMPO美術館が収蔵する代表作3点を含め、初期から晩年までの彼の画業をたどることができる。

この《幻化》のように、温かくどこか幻想的な作品を生み出した山口華楊とはどんな人物なのか。

ほかにどのような絵を描いているのか。展覧会の見どころと共に紹介しよう。

①山口華楊という人物

山口華楊は1899年に京都で生まれた。1912年に小学校を卒業すると、当時の京都画壇の大家であった西村五雲に入門した。

五雲からはモチーフを実際に目の前に置き、写生することの大切さを教えられた。それは華楊の生涯にわたる制作の基盤となった。五雲は京都市立絵画専門学校への入学を勧め、その上自分の師である竹内栖鳳も紹介し、その教えを受けられるよう取り計らった。

恵まれた修行時代と言えるだろう。

第一章には、そんな彼の初期作品が集められている。中でも注目したいのは、この《葉桜》だ。

(展示風景より)(筆者撮影)(展示風景より)(筆者撮影)

山口華楊 《葉桜》山口華楊 《葉桜》1921年 絹本彩色 167.4 × 271.5cm SOMPO美術館

桜は古くから日本の春を代表する花として、多くの画家によって作品に取り上げられてきた。満開の白い花々は華やかでありながらも儚く、日本の美学の反映と言っても良い。

しかし、華楊がここで描くのは、花が全て散ってしまった後の葉桜である。画面の中央をS字にうねりながら伸びる幹は、上部が画面の端によって断ち切られている。

バサリと重たげに垂れた枝は、無数のみずみずしい緑の葉で覆われ、所々に赤い実ものぞく。どこからともなく吹いてきた風に、葉が擦れあう音が聞こえてきそうだ。

また、その枝ぶりを見ていると、花の頃はどれほど華やかで 見応えのあるものだったのか、とも想像してしまう。華楊があえて葉桜を選んだ理由も、このあたりにあるのかもしれない。

そしてよく見ると、右下の地面には小さな黒い蛇が這っているのが見える。しっかりと地面に根を下ろした桜の樹に対し、蛇は小さく細いが、細部までリアルに描き出され、今にも動き出しそうだ。不動と動、大と小、と対照的な要素を備えているからこそ、樹と蛇とは互いを引き立て合っている。

もし蛇がいなかったら、画面全体の印象はぼやけたものになるだろう。華楊もこだわったポイントであり、この絵には知恩院で見つけた蛇を手ぬぐいを使って捕まえた、というエピソードも残っている。

隣に展示されている下絵を見ても、葉の一枚一枚の形まで描き込まれている様に執念のようなものを感じる。《葉桜》の前に立つと、画面全体を覆う緑の葉からは、風に擦れ合う音や匂いと共に、生命の持つ濃厚な気配が立ち上ってくるように感じる。

②花鳥画家・華楊ーーー生けとし生けるものへの眼差し

竹内栖鳳も西村五雲も、動物画の大家だった。その系譜に連なる華楊が京都画壇で名を挙げたのも、動物画によってだった。

山口華楊 《犢》山口華楊 《犢》 1941年 紙本彩色 143.2 × 157.3cm 京都市立芸術大学芸術資料館

こちらの《犢(こうし)》は、師・五雲の死後に一度解散した画塾・晨鳥社を再興した後、その第一回展に出品した作品である。仔牛は、師・五雲が好んだモチーフで、死の前年に発表した作品《麦秋》にも登場している。

《犢》には、亡き師への敬意と、そこから一歩踏み出して独自の道を歩もうとする決意がこめられているように見える。全体に淡い色彩で表された仔牛はどこか儚げだ。が、抽象的にぼかされた背景によって、その存在は確かなものとして浮かび上がっている。

五雲の描いた動物が厳格さを感じさせるのに対し、華楊は動物たちの正確な姿や質量よりも、生命としての息づかいを写し取ろうとしているようにも見える。

一方、こちらの《南海魚》は、髙島屋の嘱託で、扇子の原画として制作された小品だ。

山口華楊 《南海魚》山口華楊 《南海魚》 1967年 紙本彩色 20.5 × 44.0cm 髙島屋史料館

扇形の画面の中に2匹のエンゼルフィッシュを交差させるように描き、右には広く空間を取っている。この余白によって、2匹の魚は画面の中を自由に泳ぎ回っているように見える。扇子として手元で広げた時を想像すると、まるで水の中を覗き込んでいるような爽やかさを得られたのではないかとも思う。

エンゼルフィッシュというモチーフは華楊には珍しいが、この作品からは、彼の技量の高さと観察力の確かさが感じられる。

しかし、華楊の本領は動物画だけではない。華楊自身も自らを「花鳥画家」として認識し、初期の《葉桜》をはじめ、植物を描くことにも力を注いできた。展覧会後半、3章『探究ー植物表現の生命力』にはそんな彼の探究の成果とも言うべき作品が集められている。

その一つ、《白露》を見てみよう。

山口華楊 《白露》山口華楊 《白露》 1974年 紙本彩色 178.0 × 141.6cm 京都国立近代美術館

縦長の画面いっぱいに背の高いひまわりが描き出されている。しかし、手前側の花は、既に盛りを過ぎ、次代へと繋がる種を内包し、重たげに首を垂れている。その足元では赤い鶏頭がいましも伸びていこうとしている。
「白露」というタイトルに込められた、大気が冷え、秋の気配が深まっていく様子が、この2つの植物によって見事に暗示されている。

SOMPO美術館が所蔵するゴッホ《ひまわり》の前向きで旺盛な生命力とは対照的な印象だ。
またもう一枚、同じ章にある《青柿》も見ておきたい。

山口華楊 《青柿》山口華楊 《青柿》 1978年 紙本彩色 178.0 × 140.0cm 北澤美術館 ©Kitazawa Museum of Art

青々とした葉と熟す前の柿の実が画面いっぱいに広がる構図は冒頭の《葉桜》とも共通する。灰色の背景に、葉の青緑はより涼やかに映え、葉陰で目を光らせる黒猫がアクセントを加えている。

植物と動物、2つのモチーフが共に主役として並び、互いを引き立て合うさまからは、華楊の表現の深化と生命をつぶさに見つめる眼差しが感じられる。

配信元: イロハニアート

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