火焔型土器(新潟県・笹山遺跡出土、国宝、縄文時代中期=約5,000年前、十日町市博物館蔵)。煮炊きの実用だけでは説明のつかない過剰な装飾から、祭祀に使われた鍋と考えられている。撮影:Saigen Jiro。, Public domain, via Wikimedia Commons.
これで煮炊きがしやすかったとは思えません。使いやすさだけを考えるなら、ここまで複雑にする理由はなかったはずです。
不格好で、奇妙で、明らかに「やりすぎ」なのに、なぜか目を離すことができません。この過剰さの中には、いったい何が宿っているのでしょうか。
岡本太郎、上野の衝撃
この「目が離せない感覚」を、最初に言葉にした人がいます。1951年11月、東京国立博物館の展示室。40歳になった岡本太郎は、縄文土器の前に立ち尽くしていました。
岡本太郎(1911-1996)。1953年撮影。前衛画家として名を知られていたが、1951年に東京国立博物館で縄文土器に出会い、それを「資料」ではなく「美術」として論じた。, Public domain, via Wikimedia Commons.
すでに前衛画家として名を知られていましたが、このとき受けた衝撃はそれまでの仕事を根底からひっくり返すものでした。
翌年、美術雑誌にこう書いています。
縄文土器の荒々しい、不協和な形態、紋様に心構えなしにふれると、誰でもがドギッとする。なかんずく爛熟した中期の土器の凄まじさは言語を絶するのである。
「ドギッとする」。冷静な分析ではなく、まず身体が反応してしまった驚きが、そのまま残っています。当時、縄文土器を「美術(芸術)」として見る人はほとんどいませんでした。
いつ作られたか、どこから出土したのか、どんな暮らしに使われていたか。あくまで大昔の生活を知るための「資料」であり、美術館ではなく考古学の領域に置かれていたのです。
そうした見方に対して、岡本は異を唱えました。「これはただの便利な鍋ではない。見る人を圧倒する力がある」。そのように言い切れたのは、彼がパリである体験をしていたからです。
森の中の儀式
1929年、18歳でフランスに渡った岡本は、約10年間をパリで過ごしています。新しい芸術に触れる中で、彼はフランスの思想家ジョルジュ・バタイユと出会いました。
ジョルジュ・バタイユ(1897-1962)。フランスの思想家。パリ時代の岡本太郎は、バタイユの秘密結社「アセファル」に唯一の日本人として加わった。, Public domain, via Wikimedia Commons.
当時のヨーロッパでは、科学や技術の発展によって「効率的で合理的なものこそ価値がある」という考え方が強まっていました。また政治の世界では、個人よりも国家や組織を優先する全体主義が勢いを増していた時代でもあります。
今の言葉で例えるなら「コスパがすべて」「周りの空気に合わせろ」という息苦しさに近いかもしれません。そのような時代の空気に、バタイユは強い違和感を抱いていたのです。
人間は役に立つことだけをして生きているわけではない。祭りで我を忘れること、見返りを求めずに何かを差し出すこと、そうした「無駄」にこそ生きている実感は宿る。
このように彼は考えていたのです。
岡本は唯一の日本人として、バタイユが秘密裏に作ったグループ「アセファル(無頭人)」に参加しています。
彼らは深夜になると、パリ郊外の森に集まりました。稲妻に焦がされた枯れ木を囲み、闇の中でただ黙って立っている。肌を刺す冷気、足もとの湿った土、隣に立つ仲間の息づかい。
何かを話し合うわけでも、何かを決めるわけでもない。合理的に考えれば何の役にも立たない時間ですが、その無駄な時間の中で岡本の身体には、理屈では説明できない熱が残りました。
バタイユが守ろうとしていたものを、岡本はパリの森の中で、言葉ではなく身体で知ったのです。
