なぜ縄文土器は「やりすぎ」なのに目が離せないのか──岡本太郎を圧倒させた合理性からの逸脱

5000年前の熱

戦後、日本に戻った岡本が国立博物館で火焔型土器を見たとき、ガラスケースの向こうから、かつてパリの森で感じたものと同じ熱が放たれていました。

器を覆い尽くす縄の模様。煮炊きには何の役にも立たない突起。うねりながら這い回る渦。便利さというモノサシでは、何ひとつ説明がつきません。縄文人は、ただ便利な鍋を作ろうとしていたのではないはずです。

収穫が続くこと、命が生まれること、死者が安らかであること、明日も無事に暮らせること。今の私たちが当然のように送っている毎日も、いつ失われるかわからなかった時代です。

だからこそ彼らの手は祈るように粘土を重ね、余計とも思える飾りを止められなかったのでないか。

岡本が土器の前で言葉を失ったのは、五千年前の人々の「生の熱量」に正面からぶつかったからでした。パリの森で得た感覚が、日本のもっとも古い地層から芸術として噴き出してきたのです。

1970年、大阪万博のために岡本が作った「太陽の塔」。あの巨大な造形もまた、合理的に説明しようとすると途方に暮れてしまいます。

万博のテーマ「人類の進歩と調和」に対して、調和を突き破り、進歩に逆行するような造形をぶつけたのです。縄文土器の過剰なエネルギーが、そのまま巨大な塔になったようにも感じられます。

この投稿をInstagramで見る

太陽の塔ミュージアムショップ(@tower_of_the_sun_museum_shop)がシェアした投稿

太陽の塔(岡本太郎、1970年、大阪万博のシンボルとして制作)。万博のテーマ「人類の進歩と調和」に真っ向から抗うような異形は、縄文土器で受けた衝撃が形を変えて噴き出したものだった。(画像引用:太陽の塔ミュージアムショップ 公式Instagram)

押し入れの奥にある「土器」

このような衝動は岡本太郎だけのものでしょうか。

たとえば実家に帰ったとき、押し入れの奥から子どもの頃に作った図工の作品が出てくることがあります。何を入れるつもりだったのか思い出せない粘土の器。必要以上にハサミで切り刻まれた画用紙。やたらとカラフルに塗られた木箱。

大人になった目線で見れば、どれも明らかに「やりすぎ」です。こんなに色を使う必要はないし、こんなに細かく切る意味もありません。それなのに、なぜか愛着が湧き、簡単には捨てられない。

幼い頃の私たちは誰に頼まれたわけでもなく、ただ作りたいから手を動かしていました。何の役に立つのかは関係なく、何かを作りたいという衝動が理由よりも先にあったはずです。

火焔型土器の前で私たちが足を止めてしまうのは、ただ夢中で何かを作っていた頃の自分が、ふと重なって見えるからかもしれません。

配信元: イロハニアート

提供元

プロフィール画像

イロハニアート

最近よく耳にするアート。「興味はあるけれど、難しそう」と何となく敬遠していませんか?イロハニアートは、アートをもっと自由に、たくさんの人に楽しんでもらいたいという想いから生まれたメディアです。現代アートから古美術まで、アートのイロハが分かる、そんなメディアを目指して日々コンテンツを更新しています。