「幸せになりたい!」と言えば、「もっと努力したら?」と甘えや努力不足を問われがちな昨今。私にとっても、幸せは待つものではなく、自力で掴みに行くものです。
初詣ですら、「○○になりますように」とお願いすることはありません。「私は今年、○○を達成できるよう励みます」と決意表明するくらい、徹底して神頼みを避けています。
越塚友邦《仏誕》(部分)明治38年(1905)福田美術館
そんな私にとって、「仏画」や「吉祥画」はどこか他人事に思えるジャンル。福田美術館で開催中の『幸せになりたい! ー祈りの絵画ー』には、これらの祈りにまつわる日本の絵画が並ぶのですが、正直「私には合わない展覧会かも…」という気持ちを抱えて足を運びました。
「祈り」の絵画は自分事?他人事?
本展は、仏画、吉祥画、東山魁夷の3章構成。仏の姿を描いた作品や、縁起の良いモチーフが描かれた絵画などが並びます。
越塚友邦《仏誕》明治38年(1905)福田美術館
展覧会の最初を飾るのが、越塚友邦《仏誕》という作品。釈迦が生まれた瞬間に7歩進み、「天上天下唯我独尊」と唱えた場面です。
絵画そのものが大きいことや、周囲を取り囲むインドの神々が彩り豊かに描かれていることから、仏教に疎い私でも足を止めてじっくり見てしまいました。
越塚友邦《仏誕》(部分)明治38年(1905)福田美術館
こちらの生き物は何だろう……神様の肩と腕はどうなっているのでしょうか? 元ネタがわからなくても、こうした違和感を探すのが楽しかったりするんですよね。
小茂田青樹《池趣》20世紀 福田美術館
吉祥画は動物を描いた絵画が多く、見ているだけで癒される内容でした。言葉遊びで動物と吉祥を結びつける場合もあり、小茂田青樹《池趣》のキャプションに書かれていたのは、「無事カエル お金がカエル 若ガエル」。思わず笑ってしまいましたが、本作は五穀豊穣や金運、交通安全といった願いと関連づけられるそうです。
展示風景
このように絵画は楽しく鑑賞しましたが、最後まで「祈り」を自分事と捉えることはできませんでした。
なんかこう、もっと深く展覧会を楽しめる視点があるはずなんだけどな…。鑑賞の「ツボ」的なものをいまいち掴みきれず、腕を組んで首を傾げたまま美術館をあとにしようとした、そのときです。

展示室の外に、来館者が願い事を書いて投稿するスペースを見つけました。せっかくだし何か書くことないかな、と考えた私の願い事が、こちら。
「推しの願い事が叶いますように」
願ってしまった…。
あれほど「幸せは自力で掴むから願い事はしない」と言っていたのに…。自力で叶えられないから願ったのですが、このとき初めて「自分も祈ってるじゃん!」と気づき、祈りが急に自分事になりました。
私が気づいていなかっただけで、実は身近なテーマだったのでは? 展覧会の最初に戻り、もう一度観てみることにしました。
展覧会をもう一度観て、「わからない」に歩み寄る
展示風景
とはいっても穿った見方をして、「仏さまが描かれていることと、画家が祈りを込めたかどうかは別じゃない?」などと考えてしまう私。それでもある2人の画家のおかげで、少しだけ「祈り」に歩み寄れたと思うんです。
1人目は京都生まれの画家・入江波光(1887-1948)。仏画や古画を研究し、法隆寺金堂壁画の模写にも励んだ彼は、さまざまな手法で仏教の世界を描き出そうとしました。
入江波光《浄天》大正9年(1920)福田美術館
仏画を描いた画家は他にも多くいるなか、彼の異質さが一目でわかる作品が《浄天》です。浮遊する天女を描いた絵画ですが、色も線も淡すぎるくらい淡く、コントラストの効いた作品に囲まれた展示室ではかえって目立って見えました。
入江波光《浄天》(部分)大正9年(1920)福田美術館
「見えない世界を絵によって見せる」のではなく、「見えない世界を見えないままに描く」というような誠実さを感じる作品。静かにこちらへ語りかけてくるようで、これほど上品で優しい宗教画は初めて見ました。
波光は一体どんな思いで仏画に取り組んだのか? それを読み解くヒントとなりそうなのが、代表作《臨海の村》です。仏画ではありませんが、それゆえに彼の祈りがストレートに表れていると思います。
入江波光《臨海の村》大正8年(1919)福田美術館
本作に描かれるのは、夕日に照らされる漁村とそこに暮らす人々。絹地の裏から金箔を貼り、画面上部に金泥を刷いたそうで、柔らかい光に包まれています。
質素で堅実な暮らしを賛美するかのような、宗教画ではないのに宗教的な絵画。波光が祈っていたのは「個人」の幸福といったレベルではなく、もっと大きな「世界」のあり方だったのではないでしょうか?
展示風景
もう1人の画家が、東山魁夷(1908-1999)です。本展では本人による文章とともに、風景画がまとめて展示されています。川端康成が賞賛したという美文の数々のなかで、特に印象に残ったフレーズを以下に引用します。
私自身、絵を描くのが特にうまいほうではありませんし、上手に描こうとも思わないんです。私にとって絵を描くことが祈りであるとすれば、上手に祈るとか下手に祈るとかは問題ではないと思います。
心が籠るか籠らないか、それが問題だと思うんです。
引用元:東山魁夷
東山魁夷《山峡朝霧》昭和52年(1977)福田美術館(旧山本憲治コレクション)
私は「祈り」と「絵を描くこと」を別々に捉えていましたが、魁夷にとっては「描くことは祈ること」でした。たしかに「祈ること」も「描くこと」も、自分の心と向き合う行為。「良い絵」とは、上手・下手よりも「祈り」があるかどうかなのかもしれません。
