誰にでも「どうしてこんなことをしなければならないのだろう」と思った経験はあるはずです。しかし、その時は苦痛でも、後になってから思わぬ形で役に立つこともあるかもしれません。今回は、筆者の友人の体験談をお届けします。
「無礼講」という名の独壇場
20代で会社員だった頃、職場では毎週のように飲み会が開かれていました。
当時は事実上の強制参加で、欠席しづらい空気があったものです。
乾杯が終わると、上司が決まって口にするのが、「今日は無礼講だから!」という言葉。
普通なら「無礼講」と聞けば、肩の力を抜いて楽しめる場面を想像しますが、そのときの私たちにとっては全くの別物でした。
なぜなら、それが上司による長い説教タイムの開幕宣言だと知っていたからです。
グラスが掲げられるたび、ホッとするどころか「さぁ、今夜もまた始まるぞ……」と身構えていました。
磨かれていった力
そこから始まる説教の内容は、仕事のミスにとどまりません。
やがては私生活についてのダメ出し、服装、恋愛観、休日の過ごし方にまで話題が広がります。
もちろん反論などできません。
何を言われても、真摯な姿勢で聞き続けるしかないのです。
そこで私が磨き上げたのが、聞き流す力と相槌でした。
「なるほど!」
「勉強になります」
「そういう考え方もありますね」
場の空気を悪くせず、相手に満足してもらいながらやり過ごすことだけに集中していた結果、人の感情的な言葉に振り回されにくくなっていったのです。

