こんにちは、えぷりライターのま〜ぼ〜です。
最近、人生に嫌気がさして、タイムリープしようとして、いろいろ調べて実践してみましたが…
普通に目が覚めて、普通にパンを食べています。
庶民のわたし、伯爵邸に行く
もしも私が大正時代に生きていたら、この丘の上に建つ洋館を、そもそも目にすることはあったのでしょうか。
伯爵邸には門番の宿舎まであったらしく、庶民がふらっと近づける場所ではなかったそうです。
新聞で見る機会があったとしても「伯爵様のお城ができたらしいよ」と、御伽の国の話みたいに感じたのではないでしょうか。
建設費は現在価値で約19億円です。
そんな世界、庶民の私には想像もつきません。
そんな想像もつかない場所に、令和の今なら入館料大人400円で行けます!
何ていい時代だ!行ってきます!
坂の上の雲ミュージアムと同じ入り口から入ると、すぐに「国重要文化財 萬翠荘旧管理舎(1922年/大正11年建築)」があります。
門番の方が宿直するため、生活環境が整えられていました。
当時としては、きっととてもハイカラな建物で、そこで働く人も憧れの対象だったのかもしれません。
坂の上の雲ミュージアムを通り過ぎ、なだらかな坂を登っていきます。
この日の朝は、曇りのため少し涼しく、心地よい風が吹いていました。
坂を上りきると、萬翠荘が姿を現します。
萬翠荘は、1922年(大正11年)に建設された、愛媛県初の鉄筋コンクリート造りの洋館です。
旧松山藩主の子孫にあたる、久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵の別邸として建てられ、現在は国の重要文化財に指定されています。
高貴な方々が滞在するのに相応しく、華やかさと静けさが同居しています。
フランス生活が長かった久松の好みを反映し、和の要素をほぼ伴わない、フランス風ルネサンス様式の建物で、愛媛県庁本館を設計した木子七郎(きごしちろう)が手掛けた作品です。
「ただいまーおなかすいたーおやつ何ぃー?」などとは言えない、立派な玄関です。
優美な世界の中に、パワースポットがあるなんて…!
素敵な花模様の天井装飾に、部屋ごとに違うシャンデリア。
明治末期から活躍した木内真太郎作の、迫力のステンドグラス。
あ、うち? 多分、電気カバーの中でコバエが死んで、網戸にもたまに謎の虫がくっついてるよ。
エントランスホールには、正面に大きな階段が伸びています。
赤い絨毯と深い色の木材から、重厚で静けさのある、大正期の建物らしさを感じます。
奥に写るのは、萬翠荘で最も大きなステンドグラスで、空間の中でもひときわ目を引きます。
この階段の下からは「ちょっと来て〜!」という、オカンの恐怖の呼びかけも「あんた!ごはん冷めるから早よ来なさい!」という、あるある台詞も、絶対に聞こえてこないんだろうな…。
ちなみに、ステンドグラスを2階の迎賓室の中から見ると、正面に浮かんでいるように配置されています。
このことに気づいたとき、ちょっと嬉しかったです。
謁見の間です。
謁見の間は、萬翠荘の中でも特に格式のある空間です。
現在は、晩餐の間と共に、朗読劇などのイベントにも使用され、白を基調とする明るい空間は、時代を越えて多くの人を迎え入れています。
「晩餐●」の焼肉のタレなど絶対に出て来ないであろう、晩餐の間は、謁見の間の隣です。
謁見の間が爽やかな朝のようなイメージに対して、こちらは落ち着いた夜のようなイメージで、大正末期から昭和のはじめにかけて、名士たちの社交の場として使用されたお部屋です。
戦後は、謁見の間と共に「レストランばんすい」として、昭和56年末まで、フルコースのフランス料理を提供していました。
天井は、神社仏閣と同じ形式の格天井で、ここのみ和の要素を取り入れています。
かつては夜空をイメージして、水晶の粉が吹き付けられていたんだとか。
音声ガイドによると、天然のクリスタルでできたシャンデリアの下に立つと、水晶パワーが得られるパワースポットらしい。
「我が老後に安泰を!」
2階は企画展示が中心です。
フォトスポットに、模型の展示、高貴な方が座った席も見られるので、行った人のお楽しみです。
