肩書きは「シェフ」ではなく「シェフプラス」。企業コラボや難病支援まで幅広く手がける米澤文雄さんは、かつて「27歳で天才」と呼ばれた人物でもあります。慎重すぎるほど慎重だったという少年時代から今の哲学まで、クックパッドのポッドキャスト番組「ぼくらはみんな食べている」で語ってくれました。
地雷を踏まない子どもだった
小学3年生の頃から、将来の夢は一貫して「コックさん」。3人兄弟の真ん中で、下の弟はダウン症。母が専業主婦として、家でしっかり料理を作る家庭だったといいます。父方の祖母と同居し厳しく育てられたこともあってか、家では料理をきちんと作る習慣が根付いていました。夜ご飯の香りが好きで、興味本位でお米を研ぐ手伝いをしていたそうです。勉強はあまり好きではなく、周囲から「そんなに料理が好きなら料理人になれば」と言われたことも、夢を後押ししました。
意外なのは、周囲が抱くイメージとは裏腹な自己分析です。
「人が何を考えてるか、話してるとわかるんですよ。だから地雷を踏まない子どもだったんです。でもそれが劣等感でもあった」
突拍子もないことを言って場を沸かせる人を見ると、今でも羨ましく思うといいます。場を読む力が高すぎて、自分にはそれができないからです。それでいて、誰もやっていないことに次々と挑み続けてきたのが米澤さんです。「情熱的でパッションで駆け抜けるタイプ」という周囲のイメージと、実際の慎重な性格とのギャップこそが、この人を読み解く鍵になっています。
イル ボッカローネで学んだ「人との距離の詰め方」
高校卒業後、日本のイタリアンの草分け的存在である恵比寿の老舗「イル・ボッカローネ」へ。面接では一度断られましたが、その後「1週間やってみろ」と言われ、働き始めました。
「1番最初に修行に行くお店って実はすごい大切だと思ってるんですけど。汚いお店で働いたら、汚いままになるんですよ」
厳しい現場でしたが、褒められた記憶が一度だけあるといいます。ある日、風邪で人手が足りず、普段はパスタ場に立たない料理長がその日だけパスタを担当し、米澤さんも普段はしないアシスタント役に回ることになりました。料理長がフライパンに入れたオリーブオイルがいつもより多いことに気づき、それが多めの油を使う「キノコのパスタ」の合図だと察知して、指示される前にとっさにキノコを差し出したところ、「一応結構見てんな」と言われたそうです。
人間関係については、米澤さんにはこんな処世術があります。苦手な人にこそ、自分から近づくというものです。
「あの人は変えられないけど、自分は変えられる。好かれることが嫌いな人はいないんですよ」
相性の悪い相手ほど遠ざけたくなるものですが、あえて距離を詰めることで相手の良い面が見えてくる、というのが米澤さんの経験則。また、1軒目の選び方については「自分で食べに行くことが1番」だと語ります。
「僕もいろんな子たちを面接してきましたけど、食べに来たことある?って(聞いて)、ありませんって言われるとちょっと萎えるんですよ」

