「異界としての実家」から身を守る「セパレート帰省」
このように見ていくと、「帰省ブルー」を「親不孝」や「冷たい人間が増えた」と片付けることが誤りだということが分かります。むしろ、かつてのように「イエの義務」に無条件に従うのではなく、「自分にとっても親にとっても、健全な距離とは何か」を各人が模索し始めた結果だといえます。
最近では、夫婦がそれぞれ自分の実家に別々に帰省する「セパレート帰省」や、実家に泊まらず、近隣のホテルに宿泊して滞在時間を調整する「ホテル帰省」が注目されています。また、宿泊数を減らし、日帰りや短期滞在で物理的な距離と負担を減らす動きもあります。
これらは家族の形骸化などではなく、信仰と「イエ」を失った現代人が血縁と共存するために編み出した、新時代の打開策であり「関係性のアップデート」の試みなのです。
近年、若者を中心に、長距離の移動手段として高速バスの利用が増えていますが、帰省時の移動手段としても重宝されているそうです。帰省費用を節約するための工夫として「高速バスの利用」(47.8%)が最多となったというデータもあります(WILLER MARKETING「2026年夏(お盆)の帰省コストに関する最新アンケート調査」)。
「帰省ブルー」に加えて物価高が追い打ちをかけ、「今年は帰らない」という決断をする人も少なくありません。家計を圧迫する出費までして、疲れるどころか、気分を害され、精神が不安定になるなんて、どう考えてもコストパフォーマンス(コスパ)が悪すぎるからです。
これまで「帰省ブルー」というマイルドな言葉で包み隠されてきた現象の正体は、「かつての聖なる伝統の残骸(民俗ホラー)の中で、善意に満ちた不可解な圧力(ヒトコワ)にさらされる現代人の不安」だったのです。
この現代特有の帰省体験は、「民俗ホラー(形骸化した土地のルール)」と「ヒトコワ(善意という名のサイコホラー)」が最悪の形で重なり合う、新しい怪談、恐怖体験として語られた方が、かえってさまざまな“怪異”のメカニズムを解き明かす上で理にかなっているのです。
単に「実家に帰る」という行為が、心休まる帰郷ではなく「何か恐ろしいことが起きる異界に足を踏み入れること」と同義になってしまった現代。人々が帰省を回避し、距離を置こうとするのは、あまりにも正常な生存本能なのかもしれません。
