【取材レポート・京都国立近代美術館】『フォンタネージ—イタリアの光・心の風景』教科書の「お雇い外国人」に出会い直す

展示風景

フォンタネージは明治期の日本で絵画を教えていた「お雇い外国人」で、日本の美術の発展には欠かせない存在です。そのため、「フォンタネージ」という名前は知られていますが、どんな絵を描いた画家かは知らない人が多いのではないでしょうか?

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ですが、フォンタネージは日本で教師をしていただけでなく、画家として悩み、もがき、挑戦を続けた日々がありました。京都国立近代美術館で開催中の展覧会『フォンタネージ—イタリアの光・心の風景』では彼の人生の紆余曲折が語られ、「外国人の偉い先生」以外の人間らしい側面が浮かび上がってきます。

自分が生まれる前、母親にも子供時代や学生時代という「母親でなかった時期」があったと気づいて、目から鱗がぼろぼろ落ちたことはありませんか? 本展でもそんな衝撃を受けました。

お雇い外国人とは?教科書で出会う「フォンタネージ」

展示風景(左:アントニオ・フォンタネージ《田園風景を描いた四曲屏風》1879-82年頃 アカデミア・ファイン・アート、モナコ)

明治期のはじめ、日本では欧米的な近代化が急ピッチで進められました。美術の分野も例外ではなく、1876(明治9)年には日本初の官立(国営)の美術教育機関である工部美術学校が開校。本格的な美術教育のため、イタリアから画家や彫刻家などが教師として招かれました。

彼らは「お雇い外国人」と呼ばれ、そのうちのひとりが、イタリア出身の画家アントニオ・フォンタネージ(1818-1882)です。彼は油彩画やデッサンの技法などを指導し、浅井忠や小山正太郎など日本の洋画界を代表する画家を輩出しました。

展示風景

日本の美術の教科書ではこのように解説されることが多く、私はフォンタネージに対して「日本の美術の発展に寄与した外国人の先生」というイメージを持っています。言い換えると、教師の顔以外にはまったくの無知で、画風すら知りませんでした。

そんな状態なのに知識不足を自覚していなかったのは、今となっては恥ずかしい限り…。本展はフォンタネージという1人の画家に光を当て、多くの教科書が語らない彼の紆余曲折ある人生を紐解いていきます。

山あり谷あり……展覧会で出会う「フォンタネージ」

展示風景

展覧会を通して強く印象に残ったのが、フォンタネージがイタリア、スイス、フランス、イギリス…と次々に拠点を移していたこと。実は日本だけでなく、さまざまな国を股にかけて活動していたのです。さらに、行く先々で風景を描いただけでなく、その地の画家の制作に触れて自身の芸術の糧としてきました。

彼の作品は詩的な風景画という点では一貫していますが、人生の転機とともに画風も少しずつ変化しました。たとえば、画業の初期には絵になる美しさ、すなわち「ピクチャレスク」な景色を追求していましたが、1855年以降は詩情や物語性が顕著に表れます。

アントニオ・フォンタネージ《朝》1855-58年 トリノ市立近現代美術館 GAM –Galleria Civica d’Arte Moderna e Contemporanea, Torino. Courtesy Fondazione Torino Musei

きっかけのひとつとなったのが、バルビゾン派の画家トロワイヨンとの交流や、コローやドービニーらの作品の実見です。郷愁や哀愁を感じさせる風景画に取り組むようになり、展示室でもそうした作品が多く見られました。

展示風景(右:アントニオ・フォンタネージ《四月》1873年 トリノ市立近現代美術館)

1865年にはイギリス・ロンドンに渡り、ターナーやコンスタブルの絵画に触れて大きな影響を受けたそう。物体の輪郭が大気に溶けるような、霞がかった淡い光の表現を自作に取り入れ、フォンタネージの詩的で繊細な風景表現はより純化していきます。《四月》はその時期を代表する傑作です。

アントニオ・フォンタネージ《日本の寺の入り口》1878-80年 レッジョ・エミリア市立博物館 Musei Civici Reggio Emilia

そしていよいよ1876年。工部美術学校の画学教師に任命されたフォンタネージは日本に渡り、浅井忠や小山正太郎をはじめとする学生を指導しました。約2年間、指導のかたわら自身も絵を描き続け、本展では《日本の寺の入口》や《風景(不忍池)》など、日本の風景画も見ることができます。

アントニオ・フォンタネージ《雲》1880年 トリノ市立近現代美術館 GAM –Galleria Civica d’Arte Moderna e Contemporanea, Torino. Courtesy Fondazione Torino Musei

イタリア帰国後の1880年には、鑑賞者が中に入れそうなほどの大作《雲》を発表。長い期間をかけて構成を練り、何度もキャンバスに向かって修正を繰り返した意欲作でした。

本作では、ここまで見てきたような柔らかな光の表現よりも、絵具の盛り上げなどの大胆な筆致が印象に残りました。それまでに自身が積み上げてきたものを問い直すかのような、フォンタネージの模索や挑戦を感じる作品です。

アントニオ・フォンタネージ《雲》1880年 トリノ市立近現代美術館

本作はイタリア・トリノの全国美術展に出品されましたが、評価は真っ二つに分かれたそうです。「芸術的遺言」とも称される大作を完成させた最晩年の彼を待っていたのは、敵意ある批評…。その事実にこそ、フォンタネージの人間味を感じられるように思います。

配信元: イロハニアート

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