展示風景
そこで私が気づいたのは、国芳が作品に忍ばせた数々の“仕掛け”。彼は人を楽しませ、夢中にするため、画中にさまざまな工夫を凝らしていました。
いつしか私も、仕掛けを探すこと自体を楽しむように。この記事では、鑑賞者を夢中にさせる国芳作品の魅力を深掘りしていきます。
国芳の人気はどこから来たのか?
歌川国芳《相馬の古内裏》弘化2-3年(1845-46)頃 個人蔵
12歳のときに描いた絵が初代歌川豊国に認められ、15歳で弟子入りした歌川国芳(1797-1861)。しかし、豊国や歌川国貞などが人気を博した時代、20代の国芳はあまり目立った活躍ができませんでした。
転機が訪れたのは30代の頃。中国から伝わった物語「水滸伝」に登場する英雄たちを描いた「通俗水滸伝豪傑百八人之一個(一人)」シリーズが大評判となり、躍進のきっかけを掴みました。
歌川国芳《本朝水滸伝豪傑八百人一個 天眼礒兵衛 夜叉嵐》天保2年(1831)頃 個人蔵
「水滸伝」シリーズは個性豊かなアウトローたちを描いた浮世絵の連作で、大きな見どころのひとつが「刺青」です。彼らの身体中に彫られた華やかな刺青は、豪傑たちの只者ではない迫力を表現し、作品をよりドラマチックなものへと演出。作品の影響で刺青ブームが盛り上がり、国芳の絵が刺青の図柄になったこともあるとか。
これを機に波に乗ったのか、国芳は「水滸伝」シリーズをはじめとする武者絵のほか、美人画や役者絵、妖怪、猫、風刺画……などなど、さまざまな分野で大活躍しました。
展示風景
ですが、他にも多くの優れた絵師がいた時代に、なぜ国芳だったのでしょうか。なぜ人々は、国芳の絵を見たがったのでしょうか?
そうした疑問を胸に展覧会を見ていると、あることに気づきます。本展には200点以上の作品が展示されていますが、どの作品もただ眺めるだけでは終わらないのです。
歌川国芳《みかけハこハゐがとんだいゝ人だ》弘化4年(1847)頃 個人蔵
見れば見るほど面白い発見ができる作品の数々。どうやら国芳は、絵を見る人が「もっと見たくなる仕掛け」を、作品のあちこちに忍ばせていたようです。
「あれ?」と二度見させる達人、国芳
歌川国芳《国芳もやう正札附現金男 野晒悟助》弘化元-2年(1844-45)頃 個人蔵
たとえば《国芳もやう正札附現金男 野晒悟助》。展覧会で何気なく目にした本作は、刀を持った男性が睨みを利かせている作品です。
着物には大きなドクロの模様が描かれ、はじめは「へー、江戸時代の人もドクロをカッコいいと感じたのかな」「ちょっと厨二っぽい? ダークヒーロー系なのかな?」と思っていたんです。ですが、あることに気づいて二度見。何かというと……
歌川国芳《国芳もやう正札附現金男 野晒悟助》(部分)弘化元-2年(1844-45)頃 個人蔵
猫が寄り集まってドクロの形になっているんです!!
これは「寄せ絵」というもので、国芳が得意としたジャンル。寄せ絵のアイデアだけで1枚の絵が描けるくらいなのに、国芳はそれを隠し味として着物の柄に忍ばせました。
展示風景
この1枚をきっかけに、私の展覧会の見方はガラッと変わってしまいました。「もしかして、他の作品にも何か隠されているのでは…?」と気になって、着物を重点的に見ていくようになります。
「他に面白い柄の着物はないかな?」
「この柄はどんな意味があるんだろう?」
そう考えながら絵を見ていると、「絵の見方」自体も変わっていることに気がつきました。それまでは絵の全体像をぱっと見て、好きかどうかを判断していたのに対し、1枚1枚の絵をじっくりと見て「面白いポイントはどこだ?」と探すようになっていたのです。
歌川国芳《猫の当字 かつを》天保末(1841-43)頃 個人蔵
着物の柄に限らず、仕掛けを1つ見つけるたびに、「やった!」と国芳と心が通じた気持ちになる。そして「次の作品ではどうだろう?」とまた探したくなる。いつのまにか作品を鑑賞するというより、国芳と宝探しをする体験に変わっていました。
