レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《百グルデン版画》1648年頃 エッチング、ドライポイント、ビュラン/和紙 国立西洋美術館
しかし、レンブラントにはもう一つ、「版画家」としての顔がある。彼は銅版画技法の一つ、エッチングの表現を大きく発展させたのだ。その作品は当時人気を博しただけではない。19世紀フランスにおいて、版画ブームが起きると、芸術家たちの間でアイコン的存在となり、多くの画家や文学者に影響を与えた。
そんなレンブラントの版画家としての挑戦と、それが後世にもたらしたインパクトに焦点をあてた「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」展が国立西洋美術館で9月23日まで開催されている。
今回は、その見どころを紹介しよう。
①レンブラントとエッチング
エッチングとは銅版画技法の一種である。あらかじめ銅版の表面に防蝕剤を塗り、ニードルなどで引っ掻いて描くことで、銅板の表面を露出させる。酸性の腐蝕液につけると、露出した線の部分のみが溶けて凹むため、そこにインクを詰めて紙に刷ることで作品が完成する。
そのため、銅版を直接刻むエングレーヴィングに比べて簡便で、より自由で多様な線が表現できるというメリットがある。
16世紀のヨーロッパでは、主流であるエングレーヴィングに比べ、一段劣る技法と見なされていたエッチングだが、17世紀に入ると、その手軽さに目をつけたオランダの画家たちが大勢参入した。
1625年頃、画家として独立して間もないレンブラントがエッチングを手がけるようになったのも、その流行に乗ったためと言える。
第一章の冒頭には、エッチングの制作を始めて間もない頃の小品が集められている。
(展示風景より)(筆者撮影)
この《自画像、口を開けた顔》もその一つだ。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《自画像、口を開けた顔》1630年 エッチング レンブラント・ハウス美術館
母や妻など家族をモデルにした作品もあるが、最も身近で自由に観察できるモデルは自分自身だっただろう。鏡を見ながら表情を変えたり、帽子を被ってみたり、と様々な実験をしていたことが、展示作品からは伺える。
聖書や神話のエピソードを題材とする物語画は、登場人物たちの感情表現が肝となる。その礎となるのが様々な表情の描き分けであり、この《自画像、口を開けた顔》もその修練の一環として制作されたと考えられている。
また、レンブラントはこの《版画商クレメント・デ・ヨンゲの肖像》のように、同じ原版から印刷するにしてもステート(刷り)を重ねる中で改変を加えたりと、エッチングならではの表現を試すことにも積極的に取り組んでいた。
(展示風景より)(左)レンブラント・ファン・レイン 《版画商クレメント・デ・ヨンゲの肖像》 エッチング、ドライポイント 1651年 レンブラント・ハウス美術館 (右)レンブラント・ファン・レイン 《版画商クレメント・デ・ヨンゲの肖像》 エッチング、ドライポイント、ビュラン 1651年 レンブラント・ハウス美術館
さらにレンブラントは銅版をスケッチブック代わりにして、ニードルで直接モチーフを描くこともしていた。
そのようなスケッチ風の小品の中には、販売を想定して署名を施したものもあり、17世紀オランダの画家らしい現実的なビジネス感覚も伺える。
これらの作品からは、画家としてエッチングという技法に真摯に向き合う姿勢と、それを画業の柱へと育てていこうとする戦略の両方が感じられる。
第2章に展示されている作品《窓辺でエッチングを制作する自画像》からも、レンブラントのエッチングという技法への思い入れと自信が伺える。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《窓辺でエッチングを制作する自画像》1648年 エッチング、ドライポイント、ビュラン/中国紙 レンブラント・ハウス美術館
②百グルデン版画ーレンブラント版画の集大成
レンブラントはエッチングに打ち込む中で、エッチングならではの独自の表現も編み出していった。
その成果が顕著に見られる一枚が、風景画《アムステルダムの風景》だ。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《アムステルダムの眺望》1641年頃 エッチング レンブラント・ハウス美術館
空を広く取るのは、低地が多いオランダの風景画の特色である。
また、版画では、空に雲などを配置するのが通例だったが、レンブラントは敢えて何も描かない空白として残すことで、空間により奥行きと開放感を増している。
また、レンブラントが取り組んだのはエッチングだけではない。銅版を直接彫るエングレーヴィングやドライポイントもまた並行して研究しており、時にはエッチングの中にそれらを部分的に組み込むこともあった。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《三本の木》1643年 エッチング、ドライポイント、ビュラン 国立西洋美術館
エッチングとドライポイントを組み合わせたこの《三本の木》では、画面左に、何本もの線を斜めに走らせることで激しい雨が振り注ぐ様子を表現している。前に立つと、今にも嵐が近づいてきているような気配が感じられ、立ち止まって見入らずにはいられない。
そして、そんなレンブラントのエッチングの白眉とも言うべき作品こそ、《百グルデン版画》である。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 《百グルデン版画》1648年頃 エッチング、ドライポイント、ビュラン/和紙 国立西洋美術館
この作品は、病人の治癒、パリサイ人たちとの議論など『マタイによる福音書』中のキリストを主人公とした複数のエピソードが一つの画面の中に渾然一体となって描き出されている。
中央に立つキリストは自ら光源となっているかのようだ。母親に抱えられて祝福を受ける子供をはじめ、左側にいる人々は光に照らされている。彼らの輪郭は、明確ながらエッチングならではの柔らかな線によって描き出されている。
対して右側の人々は、まるで闇の中からぼんやりと浮かび上がるかのようだ。また、キリストの背後に広がる暗闇の、なんと柔らかく深いことだろう。
実はこの作品は、日本から輸入された和紙が使われている。当時、オランダは、日本との交易が許されたヨーロッパでは唯一の国だった。レンブラントはこの交易を通じて入ってきた甲冑などの文物を収集していたが、中でも特に気に入っていたのが和紙だった。彼は和紙が持つなめし革にも似た高貴な光沢や質感、淡い色調に魅せられていた。1647年頃からはほとんどの版画に和紙を用いている。
またこの作品には、エッチングだけではなく、ドライポイントやエングレーヴィングなど他の版画技法も組み合わされている。まさにレンブラントの飽くことを知らない探求の産物なのだ。
タイトルに入っている「百グルデン」は、当時この作品につけられた値段に由来するが、版画としては破格のものである。
レンブラントに対する当時の評価の高さをうかがい知ることができる。
