「自分で考え、自分で動く」という、自走する子どもに育つ道
一方で、自走する力を育むために私が意識的にしてきたことがあります。それは「押し付けない」ということです。正直に言えば、親として「もっとこうすればいいのに」と口を出したくなる瞬間は何度もありました。大人は経験値が高い分、すぐに「答え」を考え出すことができます。子どもに失敗して辛い思いをしてほしくない、と思えば思うほど、先に答えを伝えたくなってしまうのもわかります。しかし、そこで先回りしてレールを敷いてしまうことは、子どもの「自分で見つける喜び」を奪うことに他なりません。
息子が宿題の量を減らすために署名活動をすると言い出した時も、私は「そんなやり方じゃなくて、もっといいやり方がある」と言うのではなく、「おもしろいアイディアだね!」と、彼の主体性に100%のリアクションを返しました。もし私が「それより漢字の練習をしなさい」などと返していたら、彼は「自分で考えて行動する」という貴重な一歩を自ら踏み出すことはなかったでしょう。
誰よりも熱狂的な「観客」となる
むしろ、私が息子に教えるのではなく、「教えてもらう」姿勢を大事にしています。一緒に問題を解いている時も、教えるのではなく、息子が思考する過程に寄り添いながら、教えてもらう気持ちで臨んできました。普段の親子関係の逆転です。
「なるほど、この問題は3で割った余りに着目するのか!」
「その初手は思いつかなかった!」
「解と係数の関係ってそんなおもしろい語呂合わせがあるのか!」
と、息子がひねり出すアイディアや言葉に素直に驚き、親が学ぶ。そのような、親子関係の逆転の瞬間があるのも、子どもの自尊心をくすぐる一助になると思うのです。
子どもは、親がおもしろがって並走してくれる安心感があってこそ、未知の領域へ一歩を踏み出せるのだと思います。思えば、数字に夢中だった3歳の頃から、宇宙や数学へと興味が広がっていったそのプロセスは、まさに彼が自分の「好き」を地図にして、自由に冒険を進めていく道のりでした。親である私の役割は、その冒険の報告を受けるたびに「すごい!」「おもしろい!」と、誰よりも熱狂的な観客でい続けることだったのかもしれません。
ジャッジ(評価)を手放し、一人の人間として驚き、共鳴する。そのリアクションの積み重ねが、誰にも強制されない「自走する力」を育んできたのだと、今、改めて感じています。
では、なぜ私は、このようにポジティブなリアクションを大切にするようになったのか。なぜ、子どもをジャッジせずに、ありのままを受け止めることにこだわっているのか。その源流を辿っていくと、かつて私が、家族や恩師から受け取ってきた「否定されなかった」記憶へと行き着きます。
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みるみる自走する! 子育てはリアクションが9割
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※本記事は、『みるみる自走する! 子育てはリアクションが9割』<著:大森治幸、大森陽生/新潮社>より抜粋・再編集して作成しました。
