スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。
厚く塗ったアイライン、長いつけまつげ、ゴージャスな衣装――。
エスムラルダさんは、華やかなメイクと衣装であえて誇張された女性らしさを表現するパフォーマー、ドラァグクイーンとして1994年から活動しています。一方、2012年に「第12回テレビ朝日21世紀新人シナリオ大賞」優秀賞を受賞して以来、映像や舞台の脚本を手がけ、ドラァグクイーン・ディーヴァユニット『八方不美人』のメンバーとして歌手活動を行うほか、ライター・編集者としても活躍するなど、そのキャリアは多彩です。
しかし、一橋大学を卒業して大手印刷会社ではたらいていた20代のころは、「仕事をやらされている感覚が強く、ダメな社員だった」と言います。現在は自分らしく多彩なはたらき方を実現しているエスムラルダさんに、「はたらく」を楽しくするためのヒントをお伺いしました。
自らの同性愛を“肯定”できなかった20年間「知られたら人生終わる」

――エスムラルダさんがご自身のセクシュアリティと向き合われたのはいつごろだったのでしょうか?
子どものころから物語を読むのが大好きで、歌やお芝居にも親しんでいました。家にはピアノがあり、小学校では演劇部にも入っていたんです。
一方で、もう物心ついたときには「男の子が好き」という気持ちがありました。当時は「いずれ女の子を好きになるのではないか」と思い込んで、自分のセクシュアリティと向き合うのを先送りにしていたんです。でも、大学1年生のとき、友人たちが次々と男女のカップルになっていく中で、強い孤独感に襲われ、現実と向き合わざるを得なくなって。
――そのころは、同性愛の感情を誰にも相談できない状況だったんですね。
誰に何を言われたわけでもないのに、なぜかずっと「同性を好きなことは絶対に知られてはいけない」と思い込んでいました。友達と恋愛の話をしているときも、自分だけ嘘をついているような、常に仮面をかぶっているような感覚で。セクシュアリティに関しては、この時期、一番悩んでいましたね。
――そこからどのようなきっかけがあってドラァグクイーンに?
20歳のとき、これ以上一人で抱え込むことに限界を感じ、勇気を振り絞って「性的マイノリティの人たちが集まる街」として知られていた新宿二丁目に行き、性的マイノリティの活動団体にも半年ほどいました。そこではじめてゲイの友達ができて、考え方がガラッと変わったんです。好きな同性の話を隠さずにできることがすごく幸せだったし、「同性愛は決して“異常”なことではない」と気付かされ、ようやく自分のセクシュアリティを肯定できるようになりました。
その後、同じ大学に通うゲイの友達と知り合い、彼らが入っていたレズビアンやゲイ、バイセクシュアルが集う「パソコン通信」に参加しました。メンバーがテーマごとに意見や情報を交換し合う、今で言うコミュニティサイトみたいなものですね。

そして22歳の秋、そのパソコン通信の4周年パーティーではじめてドラァグクイーンに挑戦しました。それまで、映画やドラマのヒロインとか女性歌手の曲に感情移入することはあったものの、「メイクしたい」「女装したい」という気持ちは特にありませんでした。
でも主宰のブルボンヌ(現在もドラァグクイーンとして活躍中)から、当時人気を博していたドラァグクイーン、ル・ポールのPVを見せられ、「うちらもこういうのやってみようよ」と誘われて、ノリで始めたんです。それが、今も続いているドラァグクイーン活動の原点でした。
「今度こそ辞めよう」本音を隠し続けてはたらいた会社員時代
――その後ドラァグクイーンの活動はどのように続けていたのでしょうか?
大学を卒業して大手印刷会社に就職した後も、ドラァグクイーンの活動は続けていました。週末には派手なメイクをしてクラブでパフォーマンスをし、平日はまじめにスーツを着て出社をする。週末と平日でまったく違う自分になっている状態が、非日常と日常、まさに「ハレとケ」のような感覚で。そのギャップが面白くもありました。

――会社ではどのようなお仕事を?
企業の歴史をまとめた記念誌や社史を制作する部署にいました。企業から預かった50年、100年分の膨大な資料や社内報を読み込んで年表を作り、ライターさんに原稿を依頼したり、本の構成を考え、デザインや写真撮影のディレクションをしたり……といった、編集者のような仕事です。
両親の影響もあってもともと本を読むのが大好きで、将来は物語をつくる仕事をするのかな、とぼんやり考えていたのですが、どうすればその仕事に就けるのかまったくわからず……。とりあえず就活をし、一番スムーズにいったのが、その会社だったんです。ただ、本を作る仕事に関わりたいと思っていたので、その部署に配属されたときは嬉しかったですね。
でも、実際にはたらいてみると、常に「やらされている」という違和感があったんです。本は本でも、社史はかなり特殊だし、この仕事が自分に合っているという実感も、この仕事をずっと続けていくというイメージも持てずにいました。

そもそも私は昼食後にすぐ眠くなってしまったり、外回りの途中でつい書店に寄り道してしまったり、スケジュール管理も得意ではなかったりと、正直あまりできの良い会社員ではありませんでした。同僚たちが残業もいとわず、休日も自主的に出社するぐらいその仕事に没頭している中で、自分はそこまで仕事に打ち込めない。そんな状況に「本当にこのままでいいんだろうか……」と、申し訳なさやモヤモヤを感じていたんです。
ボーナスの度に退職が頭によぎりましたが、なかなか状況を変えられませんでした。職場の人たちは、私のセクシュアリティのこともドラァグクイーンをしていることも受け入れてくださっていて、とにかく居心地がよく、離れ難かったし、会社を辞めて食べていける自信もなかったんですよね。

