デビュー30周年を迎えたシンガーソングライターの小島麻由美。1990年代の音楽シーンにオールディーズをルーツにした楽曲とともに颯爽と現れ、独自のセンスで音楽シーンに衝撃を与えた彼女だが、公私ともにどのような日々を送ってきたのか。30年の歩みを振り返ってもらった。
90年代の渋谷系との接触
──先日も、フェス(パンと音楽とアンティーク)に出演されるなど、30周年を迎えて活動が活発になってきていますね。
小島麻由美(以下同) そうですね、パン屋さんがいっぱい出店している素敵なフェスでした。私はパン食べませんでしたが……。
──パン、お嫌いですか?
えっ! どうしてパン苦手って知ってるんですか?
──話の流れ的に……。
美味しいんですけど、食べ終わるとだんだん胸焼けしてくるんですよ。だからあまり食べないですね。グルテンとか、何か体質に合わないのかもしれませんが。だから、食べるときは胸焼けも覚悟の上で食べてますね!
──そうなんですね……。デビュー30年という節目について、どのように感じていますか?
非常に濃い、いろいろあったなあ〜っていう気持ちですね。デビューした頃の私は、そんなに音楽に詳しくなくて。1000円で売っているような、オールディーズのベストCDみたいなのありますよね? ああいう音楽しか知らなくて、レコード会社に通うようになってから、いろんな人に音楽を教えてもらったんです。
キャロル・キングとか、ローラ・ニーロとか、デイヴ・ブルーベックとか。こんな素晴らしい音楽があるんだ! って、どんどん吸収していきました。
当時、流行っている音楽だと、ラヴ・タンバリンズとか、渋谷系が好きでした。
──小島さんと渋谷系というと、カジヒデキさんとの共演が有名ですが、スチャダラパーやTOKYO No.1 SOUL SETなど渋谷系周りのラッパーたちとも交流があったそうですね。
スチャやソウルセットは、声をかけてくれてうれしかったですね。ヒップホップの人って、常に新しいもの、面白いものを探してますよね。デビューしたての私のことも、面白いと思ってくれたんだったら、ありがたいですね。
私はそんなにヒップホップを聴いていた訳じゃないけど、やっぱりあの言葉のリズムはすごいですね。特にBoseクンは声も言葉もキレイに気持ちよく入ってくるような、一流の人だなと思います。
「何これ、演歌?」
──レコード会社に入ってからは、どんな日々でしたか?
最初の3年くらいは、ずっとレコーディングばっかりでしたね。どうやって面白い曲を作るか、もう本当にそれだけが目標でした。辛くもあったけど、やっぱり楽しかったです。
ライブも最初は大変だったけど、だんだん面白さもわかってきたんです。レコーディングしたものをそのままライブで再現するのは、不可能なんですよ。(音源では10人近い演奏の曲は)5~6人のバンドだと、再現できないですよね。だから「ライブならどういう風に演奏しよう?」と考えるのが楽しい所ですね。
バンドメンバーはみんな、私よりちょっと年上で、フレンドリーで優しいお兄さんというか、面白い人たちばかりでした。
──非常に充実した新人時代だった訳ですね。
でも、曲を聴いて「何これ、演歌?」という感想をもらうこともありましたね(笑)。こっちは(映画監督の)フェリーニとかのつもりだけど、単に「マイナーコードで古い歌」みたいな感じで認識されてたんですかね? でも、世の中的にもだんだん、そういう曲が増えてきて、みんな慣れていったような気がします。
──2000年前後はカバーブームだったり、昭和歌謡リバイバルがありましたよね。EGO-WRAPPIN’だったり、クレイジーケンバンドだったり。
でも、そういうブームも、追い風のようでそうでもなかったのかな、と今では思います。自分にとってはしっくり来ないというか。
──確かに、小島さんの音楽ってただ古いだけではないですよね。レトロな中にも新しい部分があるというか。
なんだろう……歌詞かな(笑)? 私は歌詞に「アホさ」が欲しいんですよ。あんまり「二の線」なものは好きじゃないですね。ゲラゲラ笑うような感じじゃなくて、ちょっとおかしい、聴いてて楽しくなるような、ほどよい「アホさ」が欲しいなーと、いつも思ってましたね。
──30年という時を経て、当時と今で、音楽業界も世の中もいろいろ変わりましたよね。
違いますよね。昔だったら、キャンペーンで地方を周ったりしたけど、今は動画もコメントもネットで発信できるし。CDも作らなくなって、配信ですもんね。
それに、レコーディングしてても、歌のピッチが気になって歌い直そうとしたら、エンジニアさんから「あ、こっちで後で直しときます」なんて言われて、どうやって? といまだに思います(笑)。

