「今夜のお相手は浮世亭三吾・十吾でした。じゃあまた来週!」
ちょっと昔話をします。『4時ですよーだ』が始まる前の年、1986年ですから今から39年前のことです。その日ぼくはMBSの千里丘放送センターで遅くまで働いていました。
深夜2時を過ぎて仕事が終わり、自分の車で自宅に向かいました。その時カーラジオから聞こえてきたのはMBSラジオの『真夜中のなか』という番組でした。
若い男の子二人がしゃべっていました。それほど刺激的な話題を話してた訳でもなく、フツーの世間話をしていただけなのに、ビンビンと心の奥に響いてきました。
えっ? こいつら誰や? 一体何者なんや? 僕はテレビのディレクターをやる前、6年間ラジオのディレクターを経験してきましたが、こんな風にしゃべる人間に会ったことはありませんでした。
「うまい」とか「テクニックがある」という訳でもない。「説得力がある」という訳でもない。荒削りで未完成ながら「ほほう、ラジオでこういうしゃべり方があったのか」という新鮮な驚きでした。
この二人は自分達が何者かを一向に言う気配がなかったので、さすがに番組の終わりには言うだろうとジリジリしながら待っていました。そしてエンディングテーマが流れ、やっと二人は自己紹介をしました。
「真夜中のなか木曜日、今夜のお相手は浮世亭三吾・十吾でした。じゃあまた来週!」
おいおい、違うやろ! 浮世亭三吾・十吾は松竹芸能の中堅の漫才師や。完全にスカされてしまいました。
次の日、ラジオの担当者の所に聞きに行きました。そこで初めて「ダウンタウン」、君たち二人だと知ったのです。
「ダウンタウンの笑いは、弱いもんに力を与える笑いであってほしい」
あの時の『真夜中のなか』のしゃべりが40年後の今に通用するかどうかはわかりませんが、だったら今に通用する62歳のしゃべりを新たに発明してください。そしてそれを『ダウンタウンプラス』で発表してください。
5分や10分のケチな漫才ではなく、なんなら一時間の長尺で新境地を開拓してください。
それが実現するのなら、年金生活で貧乏なぼくも有料チャンネルに課金します。バラエティの新企画や過去映像の羅列よりも遥かに魅力的です。世界配信に向くかはわかりませんが、そんなことはどうでもいいことです。
松ちゃんの曲がり角は今までいくつもあったでしょうが、僕が一番ショックだったのは体を鍛えてボディビルダーのような体型になったことです。浜ちゃんはあれをどう受け止めていたのですか?
『4時ですよーだ』の頃は、松ちゃんはダボダボのスーツを着て華奢な肉体を隠していました。そしてボケて、強者ぶって大言壮語しては、浜ちゃんにコテンパンに頭を叩かれ笑いを取り、バランスを保っていました。ヒョロヒョロの細い弱い人間だからこそ強者ぶるのが許されていた訳です。
今はどうでしょう。体はどう見ても「マッチョ」そのものです。
日本語で言うとマッチョは「筋肉が大きく鍛えられている」という意味ですが、英語の「macho」は「強がっている」「傲慢な」というような悪い意味で使われることも多く、そしてここが肝心ですが、マッチョイズムはイデオロギーとしては「タカ派」「右翼」「保守」、場合によっては「男尊女卑」などと結びつきやすいわけです。お笑いをやる人間としてはかなり不利な条件に思えます。
松ちゃんはそれを承知でマッチョになったんですかね。そのあたりはわからないですが、何かに取り憑かれていたとしか思えません。
だって、マッチョのボケに対して、それに釣り合うツッコミはいくら浜ちゃんでも至難の業ではないですか。頭を叩くにしても強烈な迫力が必要です。現実的にはそれは無理な話なので、となると松ちゃんに昔のガリガリのヒョロヒョロ男に戻ってもらうしか手はありませんなあ。
冗談ぽく言ってますが、ダウンタウンの笑いは、いつの時代でも弱いもんに力を与える笑いであってほしいです。強い者に手を貸してほしくないのです。お願いしたいのはこの一点のみです。
天才的な松ちゃんの発想力と、これまた天才的な浜ちゃんの強烈なツッコミと絶妙なバランス感覚で、誰にも真似できないしゃべりの金字塔を今、再び打ち立ててください。出来るならぼくが生きているうちにやってもらえれば言うことなしです。
文/田中文夫

