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【小説「喫茶クロス」第9話】自己愛 〜正樹さん不在のクロス〜

【小説「喫茶クロス」第9話】自己愛 〜正樹さん不在のクロス〜

頑張ろうとしただけなのに

家に帰ってもクッキーを焼く気にはなれず、ただ茫然とソファへ横たわった。正樹さんは大丈夫だろうか。喫茶クロスは正樹さんの大切な場所で、その場所を私も一緒になって守ることが、本当に出来るのだろうか。頭の中でネガティブな感情がぐるぐると回る。

そのとき急に、スマホの通知が鳴った。

《あなたへのおすすめ記事:SNSで話題「飛び降り自殺の本当の理由は?」》

なんとなく開いたその記事にざわつく。

──都内の美術大学に通っていたとされる女子学生Aさん。
──心の弱さが原因との声もあり、SNSでは「勝手に飛んだだけ」「才能もなかったくせに」などのコメントが相次いでいる。

目の前が歪んだ。記事の内容は、憶測と心無い言葉で満ちていた。穂乃果ちゃんの名前こそ伏せられていたが、通っていた大学、年齢、状況……どう考えても、彼女のことだった。

指先が震える。呼吸が浅くなる。

「違う……穂乃果ちゃんは、そんな子じゃない……!」

そう思っていても、画面の中の言葉が、嘲笑のように紬の心を削っていく。自分の無力さが、また胸を突く。

なぜ今、こんなタイミングで。必死にやろうとしているのに。もう一度、頑張ってみようとしただけなのに。ソファに深く堕ちていく。涙が止まらない。世界には私独りだけなのか、そんなことはないはずだ。そんなことはないのだ。なんとか踏ん張り再起を図ろうとした紬の心のすべてから、永遠に涙が止まらなかった。

私が誰かを喜ばせ、癒すことなどできるのだろうか。穂乃果ちゃんを失ってから、取り巻く環境に委ねるしかできなかった私。人とは深く関わることのないように。いつかはまたどこかへ飛んでいくのだから。それでも生きねばならないから。そう心に何度も言い聞かせてきた。

強くなるのだ、そう誓った夜だってきっとあった。もう何度も何度も。

しかし昔の傷は癒えることなく、傷を拭おうと必死になった末、パニック障害という分かりやすい形で私の目の前に突如あらわれた。良好な人間関係を持ち、大切な相手を持ち、自信に満ちた人びとを、対岸から羨み指を咥えているだけの人間は終わりにしたかった。ずるい人間にはなりたくない。真向に自分の人生に向き合いたいのだ。

 

——どのくらい経っただろうか。泣き疲れてお腹が空いたので、深夜のコンビニに立ち寄った。レジ横のホットスナックコーナーに、たこ焼きが並んでいる。無意識に手が伸びたとき、店内の冷蔵棚に並ぶメロンソーダが視界に入った。

「私たち、幸せになろうね」

あのとき二人で笑いながら口にした言葉が、唐突に蘇った。

「私は、まだ……ここにいる」

呟いた声は、初秋の夜にかき消されたが、その心は静かに灯り続けていた。

配信元: パラナビ

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