2026年、つまり来年のF1日本GPの観戦チケットは、発売と同時にほとんど売り切れてしまった。鈴鹿サーキットの担当者も「なんでそんなに早く売れてしまったのだろうか……」と困惑するほどの売れ行き。過去にも例を見ないほどである。
これだけ観戦チケットが売れるなら、鈴鹿でのF1日本GPは当面のところ安泰……というように見える。しかしそう簡単なモノではないと警鐘を鳴らすのは、富田欣和氏だ。
富田氏は慶應義塾大学政策・メディア研究科の特任准教授であり、システムエンジニアリングが専門。その立場で、鈴鹿サーキットでのF1日本GPをさらに発展させるためのサポート役を担っている人物である。その役割を担うようになってからは、年間10戦以上各国のグランプリを飛び回っている。
鈴鹿サーキットは、F1ドライバーからも観戦に訪れるファンからも、評価が高いサーキットだとよく言われる。確かにそれはその通りであろう。立体交差、独特の八の字型のサーキットレイアウト、そこに効果的に配置された様々なタイプのコーナー……”神が作ったサーキット”と言われることもある。しかし富田氏は「そこに甘えてしまっては、一発で終わりだと思います」と語る。
「ドライバーやチームの関係者からの鈴鹿の評価は高い……そう言われるじゃないですか。でも、私はそうは思っていません。色んな人の声を聞くほど、そう思うようになってきました」
そう富田氏は言う。
「鈴鹿が悪いということではないんです。相対的に他が頑張っているんです。それで『鈴鹿は他とはなんで違うの?』とチーム関係者やドライバー、内部の人に思われてしまったら、本当に厳しくなってしまいます。ですから、今が変わるギリギリのチャンスだと思います」
「鈴鹿サーキットもその必要性を感じていると思います。でも鈴鹿の伝統とか、歴史があるとか、そういうところに甘えてしまったら、それこそ一発で終わりです。どう変えていくか……この1〜2年がタイムリミットだと思います。3年はないですね」
24戦の中で鈴鹿とは何か?
近年ではF1の人気が世界中で高騰。新たにF1開催を求める国や地域も、ひとつやふたつではない。アジアだけを見ても、韓国やタイなどでF1開催を目指す機運が高まっているし、日本国内でも大阪でF1開催を目指す動きもある。
そういうライバルを押し除け開催を続けていくためには、鈴鹿での日本GPが、真の意味でF1にとってなくてはならないグランプリであり続ける他ない。しかしマイアミやラスベガスのような、デラックスなグランプリを目指せばいいというものではない。鈴鹿ならではのグランプリとはどのようなものかということを改めて考え直し、それを基に昇華させていく必要があると、富田氏は言う。
「マイアミとかラスベガスとか、中東のグランプリとかは、F1が目指すひとつのモデルケースなんだと思います。でも、鈴鹿がああなる必要はないと思います。安易にそういう要素を入れてしまうのが、実は一番怖いかもしれません」
「例えば富裕層向けのパドッククラブやローカルのホスピタリティみたいなものを一般の観客を無視して作ってしまうと、日本GP全体の雰囲気を壊してしまう、そういうこともあるかもしれないです。富裕層の人だって、ただ富裕層ならではの体験をしたいのだったら、鈴鹿になんか来ません……鈴鹿を体験したいから来ているんです。そういう鈴鹿ならではの体験の作り方は絶対にあると思うので、その部分はすごく慎重にやった方がいいと思います」
「鈴鹿サーキットの皆さんは、日本GPの”観戦体験”を良くしようとされていると思います。『24戦の中で鈴鹿とは何か』ということを考えていると思います」
そのために必要なこと、それは”横の繋がり”だと富田氏は言う。曰く、鈴鹿での日本GPは、個々の要素は非常に優れているという。しかしそれぞれの要素の繋がりが乏しく、全体として活かされていないのだ。そしてそれをうまく活かすための”グランプリ全体をデザインすること”が大切だと、富田氏は言う。
「個々の要素はすごく頑張っているけど、それぞれが繋がっていないということが、日本ではよくあります。鈴鹿も、まさにそうでした」
「インフォメーションの皆さんは接客も丁寧で頑張っています、キッチンカーの皆さんも頑張っています、オフィシャルの人たちもすごくいい……でも全体がまとまっていない。それぞれをうまく繋げたら、鈴鹿での観戦体験がもっとよくなるように見えました」
まさにそれこそが、富田氏の専門とする”システムエンジニアリング”である。
「たとえばこのキッチンカーでやりたいことは、鈴鹿サーキットの敷地内じゃなくて白子の駅前の方がいいんじゃない? そういうこともたくさんあるわけです。本当にやりたかったことを、どういう場所で、どういうタイミングでやればいいのか、そしてそれどう設計し、そのために何を作ればいいか……そういうことがしっかりできると、お客さんの体験は確実に向上します」
「海外のグランプリに行くと、そういうイベント全体を仕切っているクリエイティブ・ディレクターのような役割の人が必ずいます。その人は、F1の決勝は3〜4日間のイベントの中のひとつと捉え、イベント全体として素晴らしい体験だったとお客さんに思ってもらうためにはどうすればいいか、それを考えるんです。そういう役割の人が、鈴鹿にも間違いなく必要です」
つまり、F1マシンの開発におけるエイドリアン・ニューウェイのような役割の人が日本GPにも必要なわけだ。ニューウェイは個々のパーツやマシンそのものを自分で設計するわけではなく、全体をプロデュースする立場だ。
「まさにその通りです」
そう富田氏は言う。
「全体の方向性を示し、みんなが迷いなく進んでいける、そういう指針を示す人が必要なんです。しかも日本国内のコアファンだけではなく、F1に少しでも関心がある人やインバウンドのお客様なども含め、総合的に見ていく必要があると思います」
週末全体を“楽しめるイベント”とするために
日本GPを観戦するために、鈴鹿サーキットに行くのは大変だ。車で行けばほぼ間違いなく渋滞にはまるし、鉄道を使っても大混雑する。ご自宅の場所にもよるが時間もかかるし、交通費や宿泊費も大変な出費となる。F1観戦は修行だと言われることがあるほどだ。ただ、それすらも楽しめるモノになれば、鈴鹿での日本GPの価値は高まるであろう。
「鈴鹿サーキットは、行くのにも帰るのにも時間がかかります。その時間を辛いものではなく楽しいモノにできれば、その分日本GP観戦の楽しみが長続きするということになります。そういう状態を作り出す方法はあると思っています」
「でもそれは、鈴鹿サーキットだけではできません。近隣の自治体や警察の協力も含めてやる必要があります」
前述の通り来年の日本GPの観戦チケットは、発売日にほぼ完売。しかし新たなファンを呼び込んでいかなければ、将来必ず苦しむことになる。そのための手法も考えねばならない。
「海外のグランプリに行って一般のお客さんにインタビューすると、いかに『Drive to Survive』(Netflixで配信中のF1ドキュメンタリー作品)の影響が大きいのかというのが、よくわかります。特に若年層に向けて。日本では、そこまでの影響はなかったようですが、日本には日本の広め方が当然あります。それを作っていく作業は必要です」
「例えば推し活は、日本ならではの文化とも言えます。魔法のような一発はありませんが、小さなところを改善していくという作業は必要だろうと考えています」
来年の日本GPにも、Netflixや映画『F1/エフワン』を見て興味をもった新しいファンが、少なからず訪れるだろう。そういう人たちが「また来たい」と思えるようなイベントにすることが、鈴鹿サーキットには求められている。
「鈴鹿サーキットさんには、あと3〜4ヵ月死ぬ気で頑張ってもらうしかないですね。行って楽しかったという体験をしてもらうためには、やらなきゃいけないことが本当にたくさんあります」
「でもその中の根幹は、やはり『トイレを綺麗にしましょう』ということだと思います。その次に食べ物と案内が親切であるという、当たり前のことをきちんとやる。それができないと、いらっしゃる10万人の方の満足度って上がらないです」
「その上で場内のイベントも、新たなファン、初めて来るファンにとって楽しめるものになっているかということを考えなければいけない。彼らにとっては、昔のドライバーがトークショーをしていても、楽しめないかもしれません。とはいえ、アイドルを連れてきて歌ってもらえば満足できるかといえば、そうじゃない……初めて来た人の期待を超えるモノは何なのかという、その答えはすぐには出ないかもしれないけど、考えなければいけませんね」
また思い出を持って帰るための仕掛けも大事だと富田氏は言う。
「感動を持ち帰れるようにする施策も、用意するべきだと思います。しかも、ちゃんとお金を使って持って帰れるというのが重要なんです」
「例えばアメリカの大学スポーツだと、ものすごくたくさんのグッズが用意されています。プロスポーツ顔負けなんですよ。大学アメフトの試合を見て、それをぬいぐるみとして持って帰れるとか、Tシャツやペンとして持って帰れる……そういう仕組みが整っているんです。それは単にグッズの売り上げという話ではなく、お客様のロイヤリティを発露させるためのツールなんです」
「日本GPでも、この感動した気持ちを持って帰るためにこれが欲しいというモノがあるというのは実はすごく大事なんです。グッズでなくても、食べるものとかでもいいかもしれません。そういう、お金を使う価値があるものを考えてご用意する、それがとても重要だと思います」
ファンも変わらなければいけない。今後も鈴鹿でF1を観たいならば
鈴鹿サーキットでのF1日本GP開催を続けていくためには、変革が求められている。そしてそれが完了すれば、今までとは異なる形のグランプリとなっているかもしれない。観戦に訪れるファンも、それを受け入れ、それを存分に楽しまなければならない……つまりファンも変わらなければいけないということだ。
「鈴鹿でF1を開催し続けるためには、批判もあるかもしれませんが、全てを作り直すくらいのことが必要となる時も来るかもしれません。そのくらいの思考実験はしておくべきではないかと思います」
「鈴鹿にいらっしゃるファンの皆さんは、とても熱意があって、暖かくて、関係者に対するリスペクトもすごいです。でも、お金を使ってくれなければいけません。そのための策を、鈴鹿サーキットとして考えなければいけないんです。熱狂に対してお金を使ってくれるような、そんな仕組みを作る必要があります。日本でF1を観続けたいならば、ファンとしてもその考え方を受け入れていただく必要があると思います」
「つまり認識を変えていく、喜んでお金を使ってもらえる方法を、真剣に考える……そういう当たり前のことに立ち戻る必要があるんだと思います」
「イベント全体の要素を全てひとつに束ねてひとつにすること、そしてそれによってサーキットとお客さんのマインドセットを変えること……それが鈴鹿での日本GPを今後も長く楽しめるようにするために必要な、一丁目一番地だと思っています」

