
1965年、「大怪獣ガメラ」が公開されてから半世紀以上が過ぎた今年、ガメラ生誕60周年を記念して、「大怪獣ガメラ」「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」の4Kデジタル修復が行われた。BS12 トゥエルビの「船越英一郎の昭和再生ファクトリー」では、大映作品の権利を所有しているKADOKAWAとの共同プロジェクトとしてこの修復現場に密着。11月2日(日)夜7時からは同局にて「大怪獣ガメラ」の4Kデジタル修復版(※2Kダウンコンバートで放送)が放送され、続けて夜8時33分から「船越英一郎の昭和再生ファクトリー」の密着特番が放送される。同作は船越の亡き父・英二さんが主演した作品だ。俳優であることを隠していた父の職業を知るきっかけになった「ガメラ」と、俳優への道を歩む“原点”となった本作への特別な思い、そして英二さんが「ガメラ」に抱いていた葛藤と誇りについて語ってくれた。
■父は謎のサラリーマン、「ガメラ対大悪獣ギロン」でついに真実を知る
――お父様の英二さんが主演した「大怪獣ガメラ」の公開が1965年。このとき船越さんは5歳でした。当時、「ガメラ」を観たときの気持ちは覚えていますか?
それが、当時、僕は映画館に連れて行ってもらえなかったんですよ。友達はね、みんな観ていましたよ。ゴジラ派とガメラ派に分かれて、小さい子どもはみんな熱狂していました。でも僕は観ていないから、その中に入れなかったんですよね。
実はその頃の僕は、父が俳優だと知りませんでした。サラリーマンだって言われていたんです。母も女優でしたが、それも教えてもらえていなかった。実家は(神奈川の)湯河原で、東京からだいぶ離れていましたから、そうすると母は週末しかいない、父は2週間に一回ぐらいしか帰ってこない。撮影だったと思うのですが、僕には分からないので、この人たちは何をしてるんだろう、なんで家にいてくれないんだろうと子供心に思い、寂しかったですね。
――なぜ隠していたのか、お聞きになられました?
幼少の頃から芸能界の水みたいなものを飲ませてしまうと視野狭窄になり、職業選択の第1位になってしまうのではないかと危惧していたそうです。俳優という道は歩ませたくなかったらしいです(苦笑)。
――いつご両親が俳優だと知ったのですか?
小学3年生のときですね。「ガメラ対大悪獣ギロン」(1969)が公開されて、父が突然連れて行ってくれたんですよ。父が出ているなんて全く知らない僕はただただ胸が躍りました。「来たぞ! ついにガメラが観れる!」と。そこまで観られなかった反動でむしろガメラ小僧になっていましたから、ものすごく嬉しかったですね。
でも、両親と3人で並んで観ていたら、「あれ?」って。なんか父と似ている大人が出ていて。白髪にしているけど、似ているんですよ。そして、ついに僕は「お父さん!」とその場で叫んでしまった。後ろの席で観ていたものだからみんなが一斉に振り返って、とんでもなく恥ずかしかったそうです(笑)。
それからの僕はどんどん映画が好きになっていって、映画少年から映画青年になり、俳優にも興味を持ち、結果、両親の想いとは裏腹にこの世界に入ってしまった。だから僕にとって「ガメラ」とは、とてつもなく思い入れのある作品であり、原点なんですよ。

■この世界にどうしても入れたくなかったという船越の両親
――英二さんは湯河原の旅館を継いでほしいという気持ちがあったようですね。
旅館を継がせたいというのもなくはなかったようですが、要はこの世界じゃない仕事をさせたかったというのは間違いないですね。いろいろ思うところがあったんだと思います。でも逆に「ギロン」での衝撃が大きすぎて、興味を持ってしまった。
8歳、9歳という真っ白で感受性豊かな年頃だったのもありますね。もし知るきっかけが「ガメラ」でなく大人の恋愛劇のような作品だったらまた違ったのかもしれません。
――子どもに響く「ガメラ」だったからこそ、ですね。
父は「ガメラ」に出ないかとオファーを頂いたとき、ものすごく抵抗をしたそうです。子ども向けの映画、それも怪獣映画なんかイヤだと。気概を持って作品を選んでいたのであえて一癖ある役を選んでいて、最初の頃にしか二枚目はあまり演じていないんです。あれだけの容姿を持っていたのに、そこにプライドとこだわりを持って役柄を選んでいました。
ところがです。「ガメラ」は空前のヒットとなり、映画斜陽の時代に、経営危機にあった大映を支える作品になっていったわけです。そして、父の中で「ガメラ」は誇りになり、だからもう一作、「ギロン」に出たわけです。
■60年前の特撮を令和の文法で修復するのが正しいのか

――今回、4Kデジタル修復がされましたが、当時の英二さんの姿はどうでしたか?
どうでしたかと聞かれると気恥ずかしさしかないのですが…(笑)。冷静に観られるようになったのは、自分がこの仕事をしてからです。同じ俳優という視点を持つようになってから冷静に観られるようになりました。
「大怪獣ガメラ」には海外の俳優方も多数出演していますが、そこに父がいても全く見劣りしていない。だいたい欧米人の中に日本人が混ざると浮いてしまいがちですが、父は違和感がなく、そのまま海外の映画に出ていてもおかしくない俳優だと思いました。顔立ちだけの話ではないんですよ。品の良さがあって、それが「大怪獣ガメラ」という映画にずいぶん貢献しているのは間違いないと思って観ていました。父の存在が大人の鑑賞にも耐えうる作品に昇華させている1つの要因だと、それが素直な僕の感想でした。
――「大怪獣ガメラ」は60年前の作品になります。映画人として、それの4Kデジタル修復にはどんな意義を感じますか?
我々は何を求めるのか、あるいは修復する人たちは何を求めるのか、どこを目指すのか。今回の4Kデジタル修復ではそれがものすごく議論されています。例えばジェット機を吊るしているピアノ線。暗い白黒フィルムではうっすらとしか見えていなかったこれが、修復をするとくっきり見えるわけですよ。
今のデジタル技術なら、これを完全に消すことはたやすいです。見せたくないものは全て消せる。稚拙なものは手を加えてブラッシュアップできる。でも、そうした令和の文法に置き換えることが正しいのか。「1965年当時にそんな特撮ができたのでしょうか?」という問いです。
はたして樋口真嗣監督(4K修復監修)はどんな修復を選んだのか。これは実際の映像を見てのお楽しみです。言いたいけれど、それは言えません。一番ワクワクするところですから、ぜひ観てたしかめてほしいです。
■コアだけでなく、マスに向けて…もう一度「ガメラ」を
――船越さん出演の「昭和再生ファクトリー」が修復現場に密着しています。その作業の様子はご覧になってみていかがでしたか?
これはもう、本当に頭が下がる思いでした。フィルムをワンカットずつ検品して、汚れを取り、傷を直し、4Kデジタル化していく。どんな技術で行われているのかは番組で解説していますが、とにかく途方もない作業です。
そうした修復現場を「昭和再生ファクトリー」の収録で見て、直後に完成したばかりの試写を観させていただいたんですよね。 つまり、直前まで皆さんの思いを、あるいはどんな風に修復作業が進んだのかをつぶさに見ていましたから、より色々なものが増幅して目に飛び込んできました。樋口監督たちが悩んでいた修復方針、その答えがこれなんだと。
密着特番は「大怪獣ガメラ」4Kデジタル修復版の放送直後となるので、視聴者の皆さんは僕とは観る順番が逆になりますね。そうすると今度は4Kデジタル修復版をもう一度観たくなると思います。最初に「ガメラ」を純粋に楽しんで、次いで修復現場の密着を観ると、「そうだったのか!」と絶対もう一度観たくなります。リアルタイムで観つつ、録画も絶対お忘れなく(笑)。
――60年前の作品ですから、今回の4Kデジタル修復版で初めて「ガメラ」を観るという方も多いと思います。
そこなんですよ。この4Kデジタル修復版のもう1つの大きな意義が、令和の今に「大怪獣ガメラ」に触れる機会を作れたということなんです。観たことがない人も、もう一度観てみようかという人も…この修復プロジェクトはその大きなきっかけを作ってくれました。そうでなければきっと、特撮ファンが昔の作品を探したり、たまたまサブスクで見つけたりといった、そういう出会いしかなかったのではないかと思います。
そしてなにより今回、コアだけでなく、マスに向けてもう一度「ガメラ」を観てくださいと発信できたの意義だと思っています!
BS トゥエルビ「船越英一郎の昭和再生ファクトリー」の特番「~『大怪獣ガメラ』4Kデジタル修復作業に密着!~は、11月2日(日)夜8時33分から放送。11月6日(木)の夜9時からは、試写を観る船越の姿を収めた「『昭和ガメラ』3作品、4K修復で父・船越英二が蘇る!」が放送される。
◆取材・文=鈴木康道

