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雪と人をつなぐオールラウンダー百瀬純平(JUMPEI MOMOSE)の現在地

一度、雪山を離れたからこそ見えた景色がある。仲間と未来をつなぐ雪の舞台を作り続ける百瀬純平 —基礎、フリーライド、社会貢献、なんだって超えていく。“楽しいスキー”を追い求めて走り続ける北海道のムードメイカーの現在地。

ビブを脱いだだけ

Photo:Keiji Suzuki @keijisuzuki4649

「僕、技術選で10位以内に入ったこともないんですよ。でも技術選を盛り上げることじゃ、最初っから最後まで誰にも負けてなかったと思う」と笑う。

百瀬純平は長きにわたり技術選やデモ選で戦い、ナショナルデモンストレーターを7期、SAJデモンストレーターを2期、トータルでデモンストレーターを19年間務めたが、昨’24-25シーズンの春、選手のビブを脱いだ。しかし、「引退」という言葉がこれほど似合わない男はいない。

「もうゼッケンをつけて滑ることがないだけで、何も変わらないですよ。これからもね」

その言葉の先には何があるのか。百瀬純平の現在・過去・未来に迫った。

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燃え尽きた青春時代

「ちっちゃい頃からアルペンをずっとやってきて、一旦、燃え尽き症候群でスキーから離れてるんですよ、僕」 

…と意外な語りから始まった話。百瀬純平は北海道・小樽で生まれ育ち、学生時代は朝里川レーシングチームでトップ選手として名を馳せていた。

小学5年〜高校3年までのアルペン競技生活。中学生時代の一枚。今はないNISHIZAWAのスキーにて

「僕のアルペン選手としてのピークは中学生の頃。全日本で優勝したりしてますから。でも高校になったら周りに追い抜かされるばっかりでした。完全に燃え尽きちゃって、高校卒業と同時にスキーを止めて、22歳まで、一度も山に上がらなかったんですよ。山に近づくことすらなかったです(笑)。何をしてたかって? ただもう街をプラプラと(笑)。20歳前後だから遊び盛かりじゃないですか、ずっと遊んでて。でもそうしているうち、ちょっと退屈になったんです。それで何か働けることないかって探してたら、スキー場のパトロールのバイトがあったんですよね。やっぱり雪山が好きで結局スキーに戻っていった、というのが本当のところです(笑)。

パトロールをしているうちにスクールのインストラクターに誘われて、ちょうどそのときカービングスキーが出てきた頃で1998年です。僕が雪山に上がってない時代の空白の時間の間に、用具が劇的に変わったんですよね。ガラっと。

まず、それに驚きを隠せなかったっていうところと、カービングスキーを履いたときにすごく面白かった。え⁈ こんなに簡単に曲がれちゃっていいの?って、面白くて。ならばついでに大会に出てみようか、なんて考えたわけです」

配信元: STEEP

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