モビリティリゾートもてぎで行なわれた2025年のスーパーGT最終戦。GT300クラスを制したのは5号車マッハ車検 エアバスター MC86 マッハ号だった。ドライバーは塩津佑介と木村偉織というSRS(鈴鹿サーキット・レーシングスクール)の同期コンビ。木村にとっては2022年以来3年ぶり、塩津にとってはスーパーGT初優勝だった。
300kmレースとして行なわれたもてぎ戦。レース序盤はポールポジションからスタートした61号車SUBARU BRZ R&D SPORTが快調に飛ばし、リードを築いていた。
しかしそんな中、マッハ号は19周目という非常に早いタイミングで義務付けられたピットストップを消化。しかもタイヤ無交換でコースに戻ったため、一気に首位に立った。彼らはタイヤを交換しなかったにもかかわらずペースは良く、結局そのまま逃げ切り。トップチェッカーを受けた。
「素直に嬉しい気持ちが勝ってしまって、何を喋っていいのか分からないです」
塩津はレース後にそう語った。
「昨年はなかなか良い結果を残すことができなかったんですが、積み上げてきたモノが徐々に形になって、今年はシーズン序盤から良いレース、上位を争えるレースができるようになりました」
「もてぎではすごく流れも良くて、木村選手もすごく速くて……もてぎマイスターの彼のおかげでここに立つことができて、とても嬉しいです」
タイヤ無交換で走り切ったのが、最大の勝因となったマッハ号。この作戦は、スタート前から決まっていた。
「最初から無交換で行くと聞かされていました。だからタイヤを使うなよ、なおかつ後ろのマシンにも抜かれるなと言われていました」
そう塩津は言う。
「ペースの面でも頑張って、途中GT500のマシンに進路を譲るタイミングで抜かれてしまったのは悔しかったんですが、それでも木村選手になんとか良い位置でバトンを渡すことができました」
木村はスーパーフォーミュラやGT500で経験したタイヤマネジメントを活かして、タイヤ無交換のままマシンをチェッカーまで運んだ。それには、タイヤを開発した横浜タイヤのおかげもあったという。
「とにかくタイヤ無交換だったので、どこまでいけるのかというところを常にタイヤと会話しなが走りました。そしてGT500やスーパーフォーミュラでのタイヤマネジメントの経験を活かすことができたと思います」
そう木村は語った。
「MC86って今は1台しか走っていませんけど、それでも横浜タイヤさんが一生懸命開発してくれて、最後までペース良く走れる本当に良いタイヤを作ってくれました。それには感謝したいです」
「皆さんに感謝だなと思いながら、最終ラップまでアクセルを踏んでいました」
なお木村と塩津は、第5戦鈴鹿でも3位になっている。しかしこの時は表彰台後に他車が失格となったことでの繰り上がり……つまり表彰台には上がれなかった。ただ今回は正真正銘のトップチェッカー。しっかりと表彰台に立つことになった。
「鈴鹿でちゃんと表彰台に乗れなかったのが悔しかったんです。一緒に表彰台に立てなかったのが悔しくて、泣いたんです。でも、今日は一緒に嬉し泣きできたかなと思います」
そう塩津は語る。
「(木村も)意外に涙脆いみたいなんで、今日はたくさん泣いて、もう涙枯れたくらいですが、本当にすごく幸せだなと思います。関わってくださった皆さんに感謝したいです」
そう塩津が語ると、木村も次のように続けた。
「鈴鹿では、3位にはなりましたが表彰台には乗りたかった。それが本当に悔しかったし、何位より玉中オーナーがずっと勝ちたい勝ちたい……そう言い続けてきました。僕らもオーナーの期待に応えるためにここにいるので、それが本当に達成できてよかったです」

