最近のアイドルは歌唱力のある者が増えているが、昭和のアイドルは正直、歌唱力は二の次、三の次で、見た目重視だったと思う。とにかく女性アイドルは愛らしく、男性アイドルはイケメンで…ということが大事だった。
それにしても能瀬慶子の歌唱力は、かなりのインパクトがあった。ホリプロスカウトキャラバンで優勝し、山口百恵の後継者と言われていたが、1979年のデビュー曲「アテンション・プリーズ」はメガトン級の衝撃度があった。
当時、ラジオの人気DJが「この曲が流れてきた瞬間、イスから滑り落ちた」と評していた。実際、筆者も「なんだ、これは…」と驚いたものだ。アップテンポでリズムを取るのが難しい曲であり、どうにも調子っぱずれに聴こえるのだ。今でもYouTubeで彼女が歌っている動画を見ることができるが、バックバンドの伴奏についていこうと必死に歌っている表情が、ちょっと痛々しくもある。
彼女はその後、3曲出しているが、それはごく普通に聴くことができるレベルだった。要するにデビュー曲だけが難しく、彼女に合っていなかったと思う。とはいえ、デビュー曲のインパクトがあまりに強すぎたのか、ヒットには恵まれず、1983年に芸能界を引退した。
現役時代に会う機会はなかったが、それからおよそ20年後、彼女を取材する機会があった。当時、お祭りなどで太鼓を叩く姿が話題になっていた。東京都文京区生まれで、幼少時からお祭り好きだったようだ。
筆者が会った際、アイドル時代とは打って変わって凛とした大人の女性になっており、
「とにかくお祭りで太鼓を叩くのが楽しい」
と笑顔を見せた。
さらにアイドル時代について聞くと、
「歌うのはあまり得意じゃなかったし、恥ずかしかった。でも、いい経験をさせていただきました」
やはり歌に苦手意識があったようだが、映像などで見る限り、太鼓の腕前は確かで、驚くほど正確なリズムを刻んでいた。間違いなく音楽的な才能はあったのだ。
(升田幸一)

