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昭和天皇をパチンコ玉で撃った元日本兵――奥崎謙三はなぜ「天皇制」を攻撃対象としたのか?

昭和天皇をパチンコ玉で撃った元日本兵――奥崎謙三はなぜ「天皇制」を攻撃対象としたのか?

独居房で醸成した思想 

––––奥崎さんが「国家は人間を阻害断絶するもの」「権力に対する服従は神に対する犯行である」「天皇と天皇的なるものを根絶した理想社会の実現」などのアジテーションを日常的にするようになったのは、妻のシズミさんによれば、初犯の大阪刑務所で10年の懲役刑をくらって独居房に入れられてからだったそうです。

それまでは口数の少ない人間だったとのことで、その意味では奥崎さんにとって刑務所体験というのが非常に大きかったということですね。

坂本 大阪刑務所で奥崎さんは、最初4 区という初犯で長期囚が入る区にいたんですが、問題を起こし続けて3区に移動させられるんです。4区には独居房がないんです。なので独居房のある 3 区へ行くのですが、ここはいわゆるヤクザ者、反社の人間が多いのです。

奥崎さんはそこでも他の受刑者と問題を起こし続けて案の定、独居房に入れられて『大阪刑務所で5指に入る処遇困難者』になるわけです。彼からすると、自分は人類の恒久平和のために活動している。他の受刑者と違うんだという強烈なプライドがあったわけですね。

 奥崎さんが大阪刑務所に入った頃は、天皇の戦争責任を追及していくという思想性はまだ完全に確立していなかったと私は解釈してるんです。彼の著作に書いてあったんですが、思想における大きなきっかけで言うと、雑居房かどこかの便所で、他の受刑者と一緒に並んで小便をしていたそうなんです。

そのときに隣にいたのが、若いあんちゃんで、そいつが天皇陛下のことを天ちゃんと言ったそうなんです。それで衝撃を受けるんですね。俺たちが戦時中に現人神、神様と教えられてきた天皇がこんな若造に天ちゃんと呼ばれていると。

そうかそれで良いのだと、そこからかつての価値観が崩れていって、独房で沈思黙考の末、あの思想に繋がっていった。人間的な革命を刑務所の中でというふうに聞いています。

坂本 時系列で言えば、そこは符合していますね。奥崎さんは、懲役10年の6年目くらいから独居房でしたから。

「ヤマザキ、天皇を撃て!」と死んだ戦友の名を叫びながら 

奥崎の母親は息子に対して「お前は良くしてくれた人に対しては良く返すが、悪くしてきた人には悪くする」と言っていたという。獄中の中での思索の末、最も自分に対して悪いことをしたのは誰か? それは天皇だという考えにたどり着く。

天皇の名によって行われた戦争で、奥崎が所属したニューギニアの独立工兵第36連隊は、隊員千数百人の内、生還できたのは捕虜になった奥崎と「ゆきゆきて神軍」にも登場する山田吉太郎元軍曹を含めごく少数だけだった。

奥崎は「無知、無理、無責任のシンボルであるヒロヒトを許せない」として1968年8月に出所後、翌1969年1月2日の一般参賀で天皇に向かって「ヤマザキ、天皇を撃て!」と死んだ戦友の名を叫びながらパチンコを発射する。

––––この事件の一報を聞いたとき坂本さんはどう思われましたか。当時は刑務官になられて二年目でしょうか。

坂本 やはりやったかと思いましたね。大阪刑務所では、5指に入る処遇困難者。それは刑罰を怖れず、独居房にいても自分が正しいと思ったこと、やりたいことをやり続けて来たからで、仮釈放も恩赦も考えていない。国に借りは作りたくないという彼の意志が出ていましたから、出所したら、一番やりたいことをするだろうと思っていました。

原 奥崎さんの手記の中で、自分が殺すべきは不動産屋さんではなくて、天皇だったと気づいたという記述が確か出てくる。それから少しずつ理論武装していくんですが、天皇個人を殺してもまた次の天皇が出てくる、それじゃ何も変わらない――天皇システムこそが、自分にとってターゲットだっていうようにだんだん思想形成されてくる。それから出所してすぐに山田吉太郎さんを訪ねているんです。

––––山田さんは、独立工兵36連隊にいた戦友で熱帯ジャングルの中を木の根をかじって生き抜き、戦後は単身で国家に喧嘩を売る奥崎謙三とは対照的な生き方をされた。家族を大事にしながら、ニューギニアでの体験を書き残して戦争について考えてきた人です。

しかし、奥崎さんは病床にある山田を見舞った際に、あなたが病気になったのは、戦後に穏健な一般市民のような生活をしたことで、それが間違っていたので天罰が下っているのだとなじる。

 そう。奥崎さんは同じ連隊にいてあの地獄の中で生き残った山田さんは信頼できる人物だと思っていたんだね。そして昭和44年の元旦に山田さんに会いに行って、「自分は明日、天皇にパチンコを打つ、そのために今神戸から上京してきたんだ」と打ち明けてるんだよね。

その時も山田さんは、「奥崎さん、そういうやり方は良くない、もっと違うやり方がある。自分は違うやり方で亡くなった仲間の慰霊をやっている」と諫めたそうなんだ。奥崎さんは山田さんだけに決意を打ち明けて 2 日に皇居に行ったんです。

––––出所直後からのそういった歴史を聞くとあの映画の2人の対立のシーンというのはまた深い象徴的な意味を感じますね。

(ラストで奥崎と山田は互いの戦後の生き方について激しい論争を展開する。ニューギニアで飢餓に悩まされる中、部下を殺して人肉を食べたのではないかという疑惑が持ち上がり、何があったのか、真実を話せという奥崎に対し、山田が「ニューギニアで亡くなった人は家族にも聞かせられない死に方をしている、自分は自分なりのやり方で友を慰霊し平和を願って来た。それぞれのやり方があるではないか」と返すと、奥崎は激高して山田を押し倒し、革靴で蹴る。奥崎は暴力を振るったことを謝罪をしながらもこれからも自分の判断で人類にとって良い結果が出る暴力ならば大いにふるうことを宣言する)

後編に続く

取材・構成/木村元彦

現在、『水俣曼荼羅Part2』(仮題)の制作中

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