戦時中、極限状態のジャングルを生き抜き、のちに昭和天皇をパチンコで撃った元日本兵・奥崎謙三の破天荒な言動を追ったドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』。同作のメガホンをとった映画監督の原一男と、元刑務官で作家の坂本敏夫。奥崎を知るふたりが、今だから明かせる秘話を語り尽くす。人類の幸福のための独自の「奥崎教」を作ろうとしていた晩年の奥崎の姿とは?(前後編の後編)
受刑者のヒーローだった奥崎
––––大阪刑務所の中でも奥崎さんは自分の考えで暴力事件を起こして独居房に入れられるわけですが、そのきっかけというのは何だったのでしょうか。
原 それも戦争体験にあって、ニューギニアに向かう船の底で寝ていると上官がトイレに行く度に少年兵の間をまたいでいったそうなんです。
失礼な奴だと思ったけど、我慢したと。ところが上官は酔っぱらっているから1回だけじゃなく何度もトイレに行く。その都度、こらえていたけど、3回を越えたら殴ろうと決めた。
できればもうこれ以上、またがないでくれと願っていたけど、とうとう4度目になったので飛び起きてポカポカぶん殴ったというんだね。それで軍法会議にかかるのかと思ったら、その上官が「お前は正しい」と言ってくれておとがめなしになった。
独裁者や権力者には暴力を振るっても良い。正しいことをすれば受け入られるという信念が形づくられたと言っていました。
坂本 刑務所内での暴力も自分は私憤ではなく3000人の受刑者のためにやっているとう意識がありましたね。だから人気がありました。当時、大阪刑務所にはかなりの割合で朝鮮の人が多かったんですよ。在日コリアンに対する差別も厳しくて、それこそヤクザになるしか生きていけないような社会環境があった。
奥崎さんは、上には歯向かっていましたけど、障害をもった受刑者には優しかったし、私たちのような若い者には、「お前たちも組織が縦社会だから大変だろう」と気さくに話してくれました。
受刑者の間では、俺たちの言えないことを言ってくれるということでヒーローでしたよ。出過ぎた釘は打たれない、罰せられることはないということで。兵庫県警も奥崎には弱かったでしょう?
原 弱かったですね。映画でもそのシーンを使いましたが、当時の兵庫警察の警備課長が先生と呼んでいましたから
人類の幸福のための「奥崎教」
––––坂本さんにとって『ゆきゆきて、神軍』の中で印象深いシーンはどこになりますか。
坂本 私は刑務官ですから、やはり神戸拘置所のシーンですね。奥崎さんの車が中に入ろうとして山の途中で止められるやつ。あの映像はずっと頭に残っています。
神戸拘置所の敷地に入るのを制止に来た刑務官たちに向かって奥崎は車の中から怒鳴り続ける。
「どけ言うのや、そこ、気に入らなきゃ、何かしてみい、おのれら、えっ、何かできたらやってみろ、お前らの、一人で、判断で、気に入らんなら、何か不満があったらやれ。何か文句あるんか、貴様、気に入らんなら、何なりとやれ、ようやらんだろ、貴様ら、人間のツラ一人もしとらんじゃないか、天皇ヒロヒトと同じだ、ロボットと同じだ、貴様ら、命令か法律に従うだけか、くやしかったらやってみろ、何か、ようやらんだろ、貴様」
孤軍奮闘で巨大な国家に立ち向かい大演説を放つ奥崎と、何を言われても無言のまま立ち尽くす制服姿の刑務官集団のコントラストが印象的なシーンである)
原 奥崎さんは私らと付き合い始めた頃には、もう人類の幸福のための独自の「奥崎教」を作ろうとしていた。人間を皆平等にして貧乏を失くして、みんな幸せに豊かに暮らせる。
既存の宗教は嫌いなんだけど、神様の力でそういう世の中を作る。自分はそういう神様のために働いている軍隊だとね。天皇のための軍隊は皇軍だから、自分は神様の軍隊でそれで「神軍」になるわけ。
天皇の軍隊と違って神様の軍隊だから階級はないわけ、平等なんだ。だから神軍平等兵奥崎謙三と名乗った。論理的にはなるほどっていう説得力を持つよね。たった 1人の神軍平等兵だから。
「それじゃ、神様のために神殿が必要じゃないですか、どういう神殿をイメージしてらっしゃるんですか?」って聞いたことがあるんですよ。
そしたら独居房がモデルだって言うんです。私がよく分からんなっていう顔してたら、じゃあ見学に行きましょうとなって神戸拘置所に向かったんです。
本物の独居房の寸法を測って設計して神殿として家の屋上に作ると。それで敷地に入ろうとしたら、即、車を止められた。そこで刑務官に罵倒を始めるわけですよ。「貴様ら、ロボットか!と」。 30 分ぐらい怒鳴ってたんじゃないかな。
坂本 神戸拘置所は丘の上にありますからね。その途中で止められたんですね。ああいうときは現場の刑務官に対応させて拘置所の上の人間は出て来ないです。奥崎さんもおそらく独居房の見学の許可は出ないと分かっていたんじゃないかな。
原 怒鳴り上げたくだりを撮ってインタビューしようとしたら、「原さん、今の私の演技いかがでした?」って言ったんですよ。ショックだったね。この人、演技という感覚を持ってるんだって思った瞬間、本当にショックだった。
でもその演技を基準に奥崎さんのやってきたことを全部照らし合わせてみると、見事に全て一貫して演じてんだよね。
いつも言っていたのが、『奥崎謙三を演じることにかけて奥崎謙三の右に出るものはいないのであります』ということ。当たり前じゃないかと思ったんだけども、そう。もう信念なんだよね。演技の中核にあったのが、神軍平等兵だった。

