
山田洋次監督の新作「TOKYOタクシー」が、11月21日(金)に公開される。同作はフランス映画「パリタクシー」を原作とする作品で、山田監督による人間探索の新たな一歩とも言えるタイトル。世代を超えた魂の交流、激動のなかで失われていくもの、そのなかにあって失われない情動…監督の初期代表作が内包する普遍的なテーマとも深く響き合う「パリタクシー」の魅力を深掘りしていくと、原作に選ばれた“当然すぎる”理由に突き当たった。
■「パリタクシー」が描く人生の“滋味”
山田洋次監督が原作に選んだフランス映画『パリタクシー』は、タクシーという密室で繰り広げられる世代も境遇も異なる二人の静かな対話劇。物語は終活のために老人ホームへ向かう92歳のマダム・マドレーヌと、人生の危機に瀕した無愛想なタクシー運転手・シャルルを主軸に進む。
マドレーヌがシャルルに依頼したのは目的地への直行ではなく、人生を過ごしたパリの街を辿る「寄り道」だった。しかしこの寄り道は単なる道草ではなく、マドレーヌが歩んだ長き人生の軌跡をシャルルという聴衆を得て追体験する旅。そして過去の“すべて”を肯定するための静かな儀式になる。
劇中、仕事の不満や金銭的な問題で不機嫌なようすのシャルル。それもそのはず、彼は休みなく働いているのに金がなく、さらに命綱であるタクシーすら免許停止の危機に瀕していた。
そんななか、「ねぇ、寄り道してくれない?」とあちこちに連れていくマドレーヌが語る言葉はシャルルに少しずつ笑顔を取り戻していく。たとえば亡き父の格言として彼女が引用するのは、「“ひとつの怒りでひとつの老い、ひとつの笑顔でひとつ若返る”。分かる?若くありたいなら何をすべきか」という言葉だ。
これに対してシャルルは「いまはどこも怒りだらけだ」と返すが、マドレーヌは柔和な笑顔をこわばらせて「私も怒りには覚えがある。よく知っているわ」と静かに応じる。そこから明らかになっていくマドレーヌの過去。辛酸を舐めた人生を歩みながらもすべてを受け入れ、凜とした態度で自己の生を全うしようとする。その人間性はシャルルだけでなく、見る者の心にも静かな共感を呼んでいく。
「パリタクシー」が描く情緒は、山田監督の作品「家族」(1970年)にも通じるところがある。高度経済成長の波に乗って長崎の島から北海道の開拓地へ旅立つ風見一家の姿を追った同作は、わずか数日の旅路の中で一家が予期せぬ困難や事故に見舞われるようすを描いた。山田監督は常々“家族は家族であろうと努力する必要がある”など、血の縁が完全で不朽の繋がりではないと語っている。それが大きく描かれているのが、初期の代表作「家族」なのだ。
一見強固に見える関係に潜むもろさ、そして時代にほんろうされるなかで見えてくる互いを思いやる絆の尊さ。「家族」「パリタクシー」両作品とも「人間関係のもろさ」と「困難に直面した時の強さ」を描く点で、“山田洋次イズム”に通じている。
■時代の冷たさと、それでも失くならない心の原風景
「家族」との共通点で挙げたとおり、「パリタクシー」が示した絶望的な状況にある人間を救い出すというテーマ、マドレーヌの達観した温かさによる再生の物語は“山田洋次イズム”に共通している。特にマドレーヌがシャルルとともにパリの街を巡る「寄り道」は、過去の記憶と場所を結びつけて人生のすべてを肯定しようとする行為だった。
時代には大きな流れがある。社会の変化はある種冷徹にすら感じるほど強制的なもので、一人ひとりの感情を斟酌しない。戦争を経た人々が受けた癒えない傷、物理的に「故郷」を失わざるを得なかった人々、いまの時代についていけないまま擦り切れてしまう誰か。だがそんな大きな時代の波を受けても、失われなかった「心の原風景」や「愛する人との絆」が残っているものだ。
「パリタクシー」においてマドレーヌが「寄り道」を経て過去を受け入れていく描写は、山田監督の「故郷」(1972年)にも表れている。瀬戸内海の島で石運搬船を生業としていた夫婦が、工業化の波に抗えず島を離れるまでの日々を描いた同作。夫・精一の「大きなもんには勝てないって何なんだ」という時代の大きな流れの冷たさに直面した庶民の、諦めと悔恨が入り混じった台詞がある。
しかし夫婦は故郷をあとにするとき、ともに生きてきた日々を静かに受け入れて前を向く。山田監督はこうした“時代の冷たさ”をドラマティックではなくリアリスティックに描くことで、普遍的な人々の情動、そして共感を呼ぶ感動を生み出してきた。
国が違えど、人種が違えど、人の心は変わらない。普遍的な人間愛を描き続けてきた“山田洋次イズム”を思えば、そこを美しく描いた「パリタクシー」に山田監督が惚れこむのは至極当然の流れだったと言えるだろう。
■「TOKYOタクシー」に受け継がれる「パリタクシー」の原色
「パリタクシー」で示された“人生という物語の継承”、そして“人々の営みと絆”という普遍的なテーマ。それらを山田監督の新作「TOKYOタクシー」では、シャルルの役を木村拓哉が、マドレーヌの役を倍賞千恵子が務める。
「TOKYOタクシー」では、木村演じるタクシー運転手・宇佐美浩二が主人公。パリを東京に置き換え、柴又から神奈川にある老人ホームへ向かう倍賞演じる高野すみれを乗せてさまざまな場所を巡る。「もうちょっと愛想良くしたらどうなの」と素っ気なく始まった旅だったが、道程のなかでいつしか浩二とすみれの心がほぐれていく。
「パリタクシー」「TOKYOタクシー」は、ともにマドレーヌやすみれとの旅を追体験させてくれる。過酷な境遇にあって怒りや悲しみをゆっくり受け入れ、それでもなお前を向くための静かな勇気。ダイナミックな感動やハラハラさせるスリルで楽しませる娯楽ではなく、人生の教科書をひも解くような“学び”を得る作品だ。
山田の作品出演が70本目になるという倍賞は、10月におこなわれた完成披露試写会で同作の撮影現場を“学校のよう”と語った。「お芝居の勉強ではなく、人間としてどう生きていくか。作品を通してそれを考える。私にとって人間としての学びの場です」。特別な誰かの驚くべき瞬間ではなく、普通の人が普通の人と交わった結果のなんでもない場面を描く“山田洋次イズム”が今作でも貫かれている証拠だ。
なおCS放送「衛星劇場」は「山田洋次監督最新作『TOKYOタクシー』公開記念特集」と題した特集を9月から始めており、「TOKYOタクシー」の原作となる「パリタクシー」を11月5日(水)朝8時30分ほかから放送予定。“山田洋次イズム”を色濃く映した初期の名作「家族」(11月12日[水]朝8:30ほか)と「故郷」(11月14日[金]昼5:30ほか)もあわせて放送される。
抑制された温かさと深い人間愛を湛えた、山田洋次監督の新たな「絆の物語」。車窓越しに過去の東京を見つめるすみれの言葉が、現代の東京を生きる浩二にどのような轍を刻むのか。まずは「パリタクシー」を見つめ直し、「TOKYOタクシー」の公開に備えたい。

