マクラーレンはブラジルで開催されたグランプリを12度制しており、これは史上最多の記録だ。彼らは2012年を最後にブラジルでの勝利から遠ざかっているが、今回は過去12回の優勝をプレイバック。
1974年:エマーソン・フィッティパルディ
まだ開催がスタートして間もなかったブラジルGPの開催地は、現在のサンパウロGPと同じインテルラゴス。ただ当時は全長7.96kmのロングコースであり、埃っぽく荒れた路面のサーキットだった。
そんなインテルラゴスでのレースを制したのは、マクラーレンのエマーソン・フィッティパルディだった。地元サンパウロ出身のフィッティパルディは、ポールポジションからライバルを蹴散らし、終盤に豪雨が襲う中でトップチェッカー。ただレースコントロールのミスでチェッカーフラッグが早く振られてしまい、結果的にフィッティパルディとフェラーリのクレイ・レガッツォーニだけが他車より1周多く周回するという珍事もあった。
1984年:アラン・プロスト
1980年代、ブラジルGPは安全面の懸念から開催地がリオ・デ・ジャネイロのジャカレパグアに変更されていた。この年はマクラーレンのニキ・ラウダとアラン・プロストがシーズンを席巻しており、ブラジルGPでも予選こそロータスのエリオ・デ・アンジェリスとフェラーリのミケーレ・アルボレートがフロントロウに並んだが、決勝はラウダがリードすることになる。
しかしラウダは電気系トラブルでリタイア。代わってトップに立ったのはルノーのデレック・ワーウィックだったが、ラウダと接触した際に負ったダメージでリタイアした。これで労せずプロストが勝利を手にしたのだった。
■1985年:アラン・プロスト
翌1985年のブラジルGPもプロストが勝利を飾り、初のチャンピオンに向けて好スタートを切ることになる。
レース自体はプロストにとって簡単なものではなく、6番グリッドからのスタートだった。プロストはすぐさま3番手に上がると、ウイリアムズのケケ・ロズベルグのターボトラブルにより2番手に。そしてロズベルグに代わってレースをリードしていたフェラーリのアルボレートをコース上で抜き去り、見事トップチェッカーを受けた。
1987年:アラン・プロスト
1986年はエンジントラブルによるダブルリタイアに終わったマクラーレンだったが、翌1987年には見事に巻き返した。
予選はウイリアムズ・ホンダのナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケがライバルに2秒差をつけてフロントロウを占めたものの、決勝では灼熱のコンディションの中、ラジエターに紙屑が詰まりオーバーヒートに苦しめられた。同様のトラブルはマクラーレン・TAGポルシェにも発生したが、影響は軽微。プロストは最終的に2位のピケに40秒以上の大差をつけてチェッカーフラッグを受けた。
■1988年:アラン・プロスト
1988年と言えば、ホンダエンジンを搭載したマクラーレンMP4/4がプロストとアイルトン・セナのコンビで16戦15勝を記録した伝説的シーズン。その開幕戦となったブラジルGPは、セナが予選で圧倒的な速さを見せてポールポジションを獲得したが、トラブルによりフォーメーションラップ後に別のシャシーへ乗り換えたことで失格となってしまう。
結果としてプロストはほぼ敵なしの状態で、ブラジルでの自身5勝目を記録した。
1991年:アイルトン・セナ
母国ブラジルのレースではなかなか勝つことができなかったセナ。同GPは前年から今も使われるインテルラゴスの短縮レイアウトでの開催となったが、1991年のレースはF1史に残る伝説的な1戦となった。
セナはポールポジションからスタートし、独走。最大で40秒以上のリードを築いていた。しかし残り20周で4速ギヤが失われ、そこから次々とギヤが入らなくなるトラブルに見舞われた。最後は6速のみでの走行だった。
それでもセナは最後まで走り抜き、リードを守ったままフィニッシュ。母国GPで初勝利を飾った。ウイニングラン中に力が入らなくなり、コース上にマシンを止めてしまうシーンは語り草となった。
■1993年:アイルトン・セナ
1992年は最強ウイリアムズに対して為す術がなかったセナだが、この年は雨が彼に絶好のチャンスをもたらした。
ウイリアムズのプロスト、デイモン・ヒルに大差をつけられ3番手からのスタートとなったセナは、黄旗区間追い越しで10秒のストップ&ゴーペナルティを受けるなど、厳しい展開。しかしスコール襲来で流れが変わった。
プロストはコミュニケーションミスで雨の中走行を続けた結果、クリスチャン・フィッティパルディのミナルディに追突してリタイア。史上2度目となるセーフティカーが出されると、セナはヒルを攻略して優勝を飾った。これはマクラーレンの通算100勝目でもあった。
1998年:ミカ・ハッキネン
1998年開幕戦で圧倒的な速さを見せたマクラーレン。第2戦のブラジルGPでもミカ・ハッキネンとデビッド・クルサードが1-2フィニッシュを飾った。
ハッキネンとクルサードは予選でフロントロウを独占すると、決勝でも他を寄せ付けない走りでリードを広げた。3位に入ったフェラーリのミハエル・シューマッハーでも、ふたりから1分という大差をつけられてしまった。またマクラーレンにとっては、前年の最終戦から3戦連続のワンツーとなった。
■1999年:ミカ・ハッキネン
1999年のレースもハッキネンとクルサードがフロントロウに並んだが、マクラーレンは開幕戦でメカニカルトラブルによりダブルリタイアを喫しており、信頼性に懸念のある状態で第2戦のブラジルを迎えていた。
決勝では早速クルサードがエンストし、ギヤボックストラブルによりリタイア。ハッキネンも一時的なトランスミッションの不調で失速し、3番手にポジションを落とした。
ただ、一時はトップに立っていたスチュワードのルーベンス・バリチェロがエンジントラブルで戦列を去ると、ハッキネンはフェラーリのシューマッハーをオーバーカットすることに成功して勝利を収めた。
2001年:デビッド・クルサード
2001年のブラジルGPは、本来ならファン・パブロ・モントーヤのレースだったと言っていい。
当時ウイリアムズのルーキーだったモントーヤは、4番手からスタートすると、フェラーリのシューマッハーをオーバーテイクしてトップに立った。モントーヤはそのままレースをリードしていたが、周回遅れのヨス・フェルスタッペン(アロウズ)に追突され、無念のリタイアとなった。
レースはマクラーレンのデビッド・クルサード、そしてシューマッハーの一騎打ちとなったが、クルサードはオーバーカット戦略を成功させ、雨に足をとられスピンしたシューマッハーを尻目にトップでフィニッシュした。
■2005年:ファン・パブロ・モントーヤ
2004年より、ブラジルGPはシーズン序盤戦から終盤戦に移動。2005年はルノーのフェルナンド・アロンソがマクラーレンのキミ・ライコネンを抑えて初のタイトルを獲得しようとしていた。
アロンソはポールポジションからスタートしたが、決勝ではマクラーレン勢の逆転を許し、そこからついていくことができなかった。マクラーレンはファン・パブロ・モントーヤとライコネンが1-2フィニッシュを決めたものの、3位に入ったアロンソが日本、中国の2レースを残してチャンピオンを決めた。
2012年:ジェンソン・バトン
2012年のシーズン最終戦となったこのレースは、レッドブルのセバスチャン・ベッテルが1周目の接触から劇的な逆転王座を決めた1戦でもある。
決勝はマクラーレンのルイス・ハミルトンとジェンソン・バトンがフロントロウからスタート。その後、やや湿った路面で驚異の速さを見せ追い上げきたフォースインディアのニコ・ヒュルケンベルグがトップに立つが、痛恨のスピンでハミルトンと接触し、優勝戦戦から脱落。この時4秒後方にいたバトンが首位を引き継ぎ、勝利を収めた。

