
『もののけ姫』静止画より (C)1997 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, ND
【画像】えっ…!「過酷すぎ」「無惨…」 ”死”以上にキツイ罰を受けた『もののけ姫』の美女を知る
『もののけ姫』が描く人間の業の深さ
『もののけ姫』4Kデジタルリマスター版のIMAX上映が好評で、2025年11月7日より上映館を拡大して上映されています。そして公開から28年経ったいまでも、作品に仕込まれた深い設定の数々が発見され続けています。特に胸を打つのが、主要キャラクターたちに隠された切ない背景でした。
人間への憎しみを表す「赤い模様」の正体
森の精霊たちとともに生きる少女「サン」の顔に描かれた印象的な赤い模様は、実は単なる化粧ではなく「刺青」だったことが『ロマンアルバム もののけ姫』で明かされています。
人間でありながら森を守る立場にあるサンにとって、この刺青は「人間であることの枷を振り切るための工夫」だったと解説されています。戦闘時に着ける土面と合わせて、本来の自分を隠し、別の存在になろうとする彼女の苦悩が表現されているのです。
特に印象的で切ないのは、サンが作中で「アシタカ」以外の人間とひと言も会話していないという事実。物語終盤の「ジコ坊」との場面でも、「話しても無駄だ」と拒絶する姿勢を貫きます。額と頬に刻まれた赤い印は、人間社会から完全に切り離された彼女の孤独と葛藤の証だったのです。
タタラ場に残る決断に秘められた「決意」
物語のラストでサンに「共に生きよう」と告げたアシタカですが、彼が最終的に選んだのは、サンと森で暮らすことではなく、あえてタタラ場に留まるという困難な道でした。
この選択の背景には、単なる恋愛感情を超えた重い決意が隠されています。森とタタラ場の「双方が生きる道」を模索し続けたアシタカは、分断された世界の橋渡し役になることを選んだのです。
どちらの側にも完全には属さない立場は、両方から批判される可能性のある茨の道でした。それでもアシタカは、対立するふたつの世界をつなぐ存在として生きることを決意します。好きな人と離れてでも果たそうとした使命の重さに、現代の分断社会に生きる私たちも考えさせられます。
生き残ったエボシ御前が背負う「死より重い運命」
タタラ場の指導者「エボシ御前」は、当初の脚本では物語の途中で命を落とす予定でした。鈴木敏夫プロデューサーも「エボシが死んだ方が、アシタカがタタラ場に残る意味が出る」と主張し、宮崎監督も一度は死亡する絵コンテを描き上げていたのです。
しかし最終的に宮崎監督は、エボシを生かす決断を下します。その理由について監督は「生き残る方が大変だと思っているもんですから」と語り、右腕を失った彼女が背負う責任の重さを示唆しました。
森を破壊し、シシ神を殺そうとした張本人が生き残り、罪なき多くの人びとが命を落とした結末を宮崎監督は「この映画では死ぬ筈だった者が平気で生き残ってるんです。死ななくてもいい人間たちが累々と死んでいるとかね。そういう意味では酷く無惨な映画なんです」と評しています。死という罰ではなく、生きて償い続けるという、より過酷な運命をエボシに与えたのでした。
これらの設定を知ると、『もののけ姫』が単純な環境保護のメッセージではなく、人間の業の深さと向き合った作品だということが分かります。キャラクターたちが背負う十字架の重さは、公開から年月を経るごとに、より深い意味を持って私たちに迫ってくるのです。
