最新エンタメ情報が満載! Merkystyle マーキースタイル
「あの裁判はしんどかった」 宮本慎也が語る「プロ野球肖像権裁判」の敗訴と無報酬で戦い続けた理由

「あの裁判はしんどかった」 宮本慎也が語る「プロ野球肖像権裁判」の敗訴と無報酬で戦い続けた理由

移籍しやすい制度の整備

宮本は、自らが定めた3年間という短い在任中にFA取得期間の短縮(9年から8年)とともに、それに伴う「補償金制度の改善」と「故障者特例措置」を勝ち取る。宮本は補償金について、チームメイトの真中を例に出してメディアに説明を施していた。

「うち(ヤクルト)の真中がFA宣言して残留しましたが、仮に年俸1億円の選手が宣言した場合、補償金は1.2倍ですから、取ろうとする球団は所属する球団に別に1億2千万円を払わなくてはならない。これが無ければ、欲しがる球団は他にもいると思うんです」

出場機会を求めて新天地へ行きたい選手がいて、それを求めるチームがあってもこの補償金がネックになる。経営者サイドからすればビジネスになるが、割合が高過ぎないか。

この改善を求めたことで、2008年からは年俸の高い順にA~C(Aランク:上位1位〜3位、Bランク:上位4位〜10位、Cランク:上位11位以下)とランク分けされて、Aランクは旧年俸の80%(人的補償が伴う場合は50%)の補償金となった。

一方、「故障者特例措置」は、ケガをしたことで選手登録を抹消されてしまい、FA取得のために必要な日数が消化できない選手を救済する制度で、特定の条件(前年の出場選手登録が145日以上)を満たせば、抹消されていても実績を考慮して登録日数を60日までカウントするという措置である。

福留孝介(中日)はこの制度の適用によりFAを取得した第一号選手として2008年にシカゴカブスにFA移籍を果たしている。

「メジャーは故障者リストがあってケガをした人でもFA日数がカウントされると聞きました。僕もオリンピックの経験があるので分かるんですが、今はWBCと試合数の増加でケガのリスクが多くなっています。

プレッシャーのかかる国際試合で頑張ってケガをしたら、FA日数が溜まらない。それはおかしい。FA取得期間はそれでなくても長いので、この特例措置は短縮も含めた部分につながると思って取り組みました」

制度運用の仕方に対しても意見 「明日から試合やりませんよ」

宮本は選手とファンが納得する環境の整備と並行して、制度設計やその運用についても矛盾を感じたときは、活発に発言をしていった。

2007年の開幕前に中日が元本塁打王の中村紀洋を支配下登録しようとした。当時の中村はオリックスの契約交渉がこじれて自由契約となり、中日に育成で入団していた。

実力は疑う余地が無いので開幕前に支配下になるのは、織り込み済みであったが、これで70人枠が上限に達してしまった。

何かのときのために1枠の余裕を持たせたい中日は2005年の高校生ドラフトで入団していた金本明博をウェイバー公示(契約中の選手の保有権を解消して他球団に対して獲得機会を与える)にかけた。

時期的にも編成は固まっており、投手から野手に転向したばかりの選手の獲得に手を上げる球団は現われず、結局金本とは育成枠で再契約をすることが想定されていた。

宮本にとっては、交渉相手となる巨人の清武が推進した育成制度である。その目的は熟知していた。

生え抜きの選手をしっかりと育てるために作られた制度だが、しかし、ここで本来の在り方とは異なる使われ方(=強化施策として実力のある選手の緊急退避先や支配枠を空ける場所)をしたことに、猛反発して即座に声を上げた。

「これを悪しき前例にしてはいけない。本当は『明日から選手は(試合を)やりませんよ』と言ってもいい問題です」と強い言葉で遺憾を表明した。

ウェイバー公示は本来、シーズン終了後にリリースされるもので、このやり方では選手がさらし者にされてしまう。協約上は、確かに違反ではなかったが、このときはセ・リーグ事務局もまた中日の2度にわたる申請を相次いで却下した。

結局、金本は育成ではなく支配下登録されたが、翌年も育成登録を打診されこれを固辞、「プロではいい思い出が何も無かった」という言葉を残して球界を去っている。この育成制度の在り方について、宮本は現在も疑義を呈している。

提供元

プロフィール画像

集英社オンライン

雑誌、漫画、書籍など数多くのエンタテインメントを生み出してきた集英社が、これまでに培った知的・人的アセットをフル活用して送るウェブニュースメディア。暮らしや心を豊かにする読みものや知的探求心に応えるアカデミックなコラムから、集英社の大ヒット作の舞台裏や最新ニュースなど、バラエティ豊かな記事を配信。

あなたにおすすめ