『ケイコ 目を澄ませて』(2022) 、『夜明けのすべて』(2024) と発表する度に映画賞を席巻する三宅唱監督が、次に映画化したのはつげ義春の「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」から連なる『旅と日々』。物語は行き詰まった脚本家が旅先で人と出会い、ある騒動を起こす温もり溢れるロードムービーです。キャストには『新聞記者』(2019) で第43回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得し、日韓で活躍するシム・ウンギョンと堤真一、更には河合優実、髙田万作が顔を揃えています。
本作は第78回ロカルノ国際映画祭のインターナショナル・コンペティション部門に選出され、最高賞となる金豹賞とヤング審査員賞特別賞を受賞しています。今回は、主人公【李】を演じたシム・ウンギョンさんと、【べん造】を演じた堤真一さんにお話を伺います。
ーーつげ義春さんの原作を三宅唱監督による映画化で、お二人が共演するという企画を聞いてどう思われましたか。
堤:僕は原作を読んでいなくて。つげさんの旅日記みたいなものは読んでいたんです。監督もおっしゃっていましたが、実はシムちゃんの役は男性で考えていたそうです。それが脚本を書いている間に壁にぶち当たってしまって、シムちゃんを思い起こしたらどんどんと筆が進んでいったそうです。僕らは冬編で絡むのですが、男性があの役を演じたら【べん造】の宿には泊らないと思うんです。シムちゃんなら“しょうがない”と思って泊っちゃうような雰囲気があって、「役にピッタリですよね」という話を三宅監督としました。
シム:私は堤さんが【べん造】さん役ということを聞いて、本当に嬉しかったです。“堤さんとまたご一緒出来たらな”といつも思っていたんです。撮影に入る前に少し緊張もしましたが、撮影初日の段取りの時に2人で台本の読み合わせをしてからは不思議と緊張もなくなって、堤さんのお陰で最後まで無事に撮影を終えることが出来ました。
ーー【李】さんと【べん造】さん、2人の掛け合いが大好きでした。あのデコボコ感がたまらく良かったです。
シム:撮影前に堤さんとの本読みは一切なかったんです。現場に直接入って、そこから生まれるものが多くありました。お互いのキャラクターの距離感が凄く大事な作品だったし、慣れていない関係性があるから、そのバランスをどう取りながら演じたらいいのかを工夫しながら撮影しました。後半には2人のお芝居でアドリブも結構あります。そこは最初から最後まで「こうやろう、ああやろう」という打ち合わせもせずに、現場に入ってからふと言えた、出てしまった言葉です。あまり緊張もせず、リラックスしてお芝居が出来たのは監督と堤さんの力だったと思います。
堤:監督のチームは何か不思議で、凄くプロフェッショナルなんだけど、僕たちに変なプレッシャーはかからないんですよ。本当に映画が好きで、美術ひとつをとっても演技を助けてもらえる雰囲気があって、芝居するのに必要なものをスタッフが完全に用意してくれている。2人で初めて喋るシーンは物語の関係性的には距離があるんだけど、演じていて凄く楽しかったんです。
シム:楽しかったですね。漫才みたいで (笑) 。
堤:その撮影が終わって何日かした後に監督がそのシーンを「リテイクしたい」と。「こんなこと言ったのは初めてですけど、お願いします」と言われました。それで「どうしたんですか?」と聞いたら「2人の距離が縮まり過ぎで」とおっしゃって。それを聞いて、僕もシムちゃんも「確かに2人でやっていて楽しかったもんね」と、それが多分前面に出てしまっていたんです。そこから監督と3人でロケをしていた温泉場の銭湯の入り口辺りで台本をチェックして「これ自分の事を話すから、多分、お互いを近くに感じるんだよね」とか「このセリフいる?」と話し合いながらセリフをカットして、それでもう1回リテイクしたんです。
シム:そうでしたね。今思い出すと結構漫才みたいで自分も楽しくて。楽しさがお芝居に出てしまいましたね (笑) 。
堤:楽しんじゃったよね。距離をとっているようで、楽しんでいる空気が出てしまったみたいです。
ーーそんなふうにあの会話を生み出していったんですね。ちなみにお二人が作品選びで重視していることを教えてください。
シム:やっぱり脚本が大事です。伝えたいメッセージがあるかだと思います。今回の『旅と日々』は特にそれが凄く私に伝わったというか、脚本を初めて読み終わった瞬間、“これは自分の話ではないか?”と思うくらい親近感を感じたというか、運命を感じました。三宅 (唱) 監督とは以前お会いしたことがありましたが、お互いについて会話をしたことはなかったんです。なのに監督は、私の思いをこうやって描いてくれたことにグッと来ました。
監督の映画の特徴というか、魅力でもあると思うんですが、監督の映画は世の中を生きている私たちが主人公になっています。それに映画ファンとしていつも感動しています。それが監督の映画が好きな理由です。もし自分が自伝を書いたらこの映画みたいな自伝になるのではないかと思うくらい、この映画が好きでした。
ーー確かに!シム・ウンギョンさんにしか李さんは思いつかないほど、ピッタリの役でした。さて、堤さんはいかがですか。
堤:そうだな、僕も脚本ですね。色々なジャンルがあるけど、基本的には何でも演じられればいいと思っていますし、それが僕の仕事だと思っています。面白みを感じるジャンルは、時期によって違うというか。例えば舞台だったら現代の翻訳劇みたいなものをやりたいと思っている時期があったり、シェイクスピアみたいな古典をやりたくなる時もあります。まったく違う日本のオリジナルだったり、悪ふざけをしてもいいような舞台をやりたくなる時もあります。その時期によって全然違うんです。あんまりこればっかり続いてしまうと“いや、こういう芝居はもういい”となってしまうし、でも別の仕事をした後に“また、やりたい”と思ったり、その時に自分が“面白い”と思ったり、”これやったことない“というものをやりたくなるので、映画も同じですね。
ーーだから様々なジャンルでまったく違う役を演じていらっしゃるんですね。『木の上の軍隊』と『旅と日々』もまったく違うテーマで役どころでした。堤さんが演じられた【べん造】は、いびきをかいたりと凄く人間臭い。そういう日常の仕草を沢山見せていますよね。あれはご自身で考えられたのですか。
堤:あれはもともと脚本に描かれていました。「いびきをかいていて、うるさくて寝られない」という感じで。でね、あの時、本当に寝ちゃったんだよね(笑)。セットには一応、囲炉裏があるんですが、外よりも寒かったんです。だから息が白い。布団は煎餅布団なんですけど、昔の布団だから重いんです、それが丁度良い感じだったんですよ。重さが温かくて、本当に寝てしまった時がありました。寝てないふりはしていましたけど、スタッフは気づいていたと思います。
シム:私はリアルなお芝居だと思っていました (笑) 。
堤:いびきをかいているところは、いびきをかかないといけないから演技していますよ。スースー、ウトウトしている時は本当に寝ちゃってます。カットがかかっても全然気づかなかったくらいです。
シム:あのセットは、室内なのに外より寒かったですから。足元とか、凍えていました。
ーー雪の中のシーンの撮影も大変だったのではないですか。
堤:一番の問題は新雪の中を歩いていくシーンだったので、リハーサルが出来ないというか、足跡をつけることが出来ないんです。1発OKというか、1回でやらないといけないんです。その為、カメラマンや照明の方の準備が大変で、僕らは「あっちの方向に向かって歩いてください」と言われた指示に従い、そこを歩けばいいだけだから全然、大丈夫。
シム:ただ、カンジキを履いて歩くのはちょっと難しかったです。
ーーお互いにお薦めしたい映画を教えてください。
シム:そうですね (悩) 。私はパク・チャヌク監督作品がもの凄く大好きなんです。尊敬している方です。パク・チャヌク監督の『別れる決心』(2022) という映画がありまして、私は劇場で5回ぐらい観ました。
堤:そうなんだぁ。
シム:本当に大好きな映画で、是非、堤さんにも観て欲しいです。観てください (笑) 。あとはパク・チャヌク監督の最新作『NO OTHER CHOICE (英題) 』もお薦めです。日本公開時のタイトルはまだ分からないですが、日本語だと『仕方ない』というタイトルになると思います。このお話も凄く面白いというか、ちょっと可笑しくて。今の社会が持っている色々な問題が描かれている映画です。あとパク・チャヌク監督特有のブラックコメディも入っているので、堤さんがパク・チャヌク監督のそういうテイストをどう感じるのかにも興味があります。
ーー堤さんが演じられそうな世界観ですよね。
シム:そうですね。イ・ビョンホンさんが演じられている主人公の役とか、日本でリメイクされたら堤さんに演じて頂きたいくらいです。堤さんがあの役を演じたらどんなキャラクターが出来上がるのか?それも楽しみです。今回の作品は、人間の表と裏がちゃんと描かれた作品でした。とても面白かったです。
堤:小津安二郎監督とか、成瀬巳喜男監督、黒澤 (明) 監督の映画は、アクション的なものも凄く好きなんですけど『生きる』(1952) とか薦めたいですね。
シム:『生きる』、大好きです。
堤:やっぱり知ってるよね。たぶん僕よりたくさん映画を観ているよね。
シム:いえいえ。
ーー成瀬巳喜男監督の作品など昔の作品を観たりするのですか。
堤:正直、成瀬監督の作品は何か事が起きるわけではないんです。日常的なその時代の雰囲気というか、そういう感覚を探りたい時に観ます。黒澤監督の『椿三十郎』1962) や『用心棒』(1961) などの映画はアクション映画でスカッとしたい時に観ます。『七人の侍』(1954)は好きですけど、長いのでなかなか気軽には観られないな(笑)。
ーー私は『旅と日々』が凄く好きなんですが、その理由は、昔の映画的な間が時間の中に沢山あるからなんです。
堤:そうなんです!この映画には、小津監督作品と同じ雰囲気 (情景) のカットがあるんです。映画の冒頭でシムちゃんが脚本を書く前に街が映るんですけれど、あれだけでどんな生活レベルなのかが理解出来るんです。大都会の凄く良い感じの出版社があるような高層ビルが立ち並ぶ所ではなく、あの光景だけで“その環境で書いているんだ”というのがすぐに理解出来るんです。情景のシーンでは、向こうの鉄橋で電車が走っている手前の川で、丁度、電車が通る時に川にサーッて風が吹いたり、“こんなタイミングってあるの?”っていうタイミングで物事が起きている。確かに一日中カメラを回していたら撮れると思うけれど、その瞬間に起こるっていうのは奇跡に近いと思うんです。何か事が起きているわけではない情景のカットが凄く意味を持っていて、観ている側が知らないうちに理解するというか。それが凄い映画なんです。
ーー俳優業で今、大切にしていることを教えてください。
堤:若い頃はもの凄く作品を選んでいたんです。食えなくても、偉そうに、本を読む力もないのにね。それは何故かというと、当時はトレンディドラマと言われるような時代で女優さんが着た洋服が売れるとか、そういう時代だったんです。そういうことにまったく興味がなかったので、ドラマから「この役をやってみない?相手役に来てるよ」と言われてもお断りしていて、それで食えなくて、舞台ばかりやっていました。だんだんと歳を重ねてきた今は、来た仕事に関しては、スケジュールが合う限り、なるべくやるようにしようと思っています。ただ、本当は年に最低2本は舞台をやりたいんですけど、1年に1本ぐらいしか出来ないので。
ーー舞台の魅力はなんですか。
堤:生でやっていること。同じ作品をやっていても一回ごとにお客さんも違うし、土地が違えばお客さんの反応も違う。その空間に来てくださる人たちと時間を共有しているあの感じが好きですね。なんていうか“今”という感じ、ミュージシャンの方々がレコーディングをするのも楽しいけど、ライブをやった方が楽しいという感覚と同じだと思います。
ーーシムさんはいかがですか。
シム:いつも真面目に向き合うことです。自分が演じるキャラクターの台詞をちゃんと自分のものにする。それは現場ですぐに出てくるものではないので、撮影に入る前に台詞の練習とか、監督とのコミュニケーションをとることなど、真面目に向き合うことしかないなと思っています。お芝居は本当に難しいので、そうしないと私は演じることが出来ないのではないかと思っているので。
ーー三宅監督と沢山コミュニケーションをとられたのですか。
シム:はい。撮影に入る前に、監督とメールでこの映画について、そして自分が演じるキャラクターについて色々とメール交換をしました。「どういう映画を参考にすればいいか?」「自分が演じるキャラクターはどんな性格なのか?」とかそういうやり取りを細かくして、無声映画を中心にチャップリン映画とかも観たりしました。それも楽しかった思い出です。
日本のカルチャーが好きで黒澤明監督作品ももちろん観ていたシム・ウンギョンさんと、日本の名監督の作品を時折見直すという堤真一さん。そんな二人だから、今回の三宅唱監督作品『旅と日々』の何気ない情景の美しさや俳優の細かな演技を捉えたカメラに感嘆の声をあげていました。雪深い庄内での撮影による二人の可笑しな関係にニヤけながら、絵はがきのような光景にうっとりする『旅と日々』。俳優陣の演技の素晴らしさにも感服しきりなのです。
取材・文 / 伊藤さとり
撮影 / 奥野和彦
シム・ウンギョン:ヘアメイク MICHIRU for yin and yang(3rd) / スタイリスト 島津由行
堤真一:ヘアメイク 奥山信次(barrel) / スタイリスト 中川原寛(CaNN)
映画『旅と日々』
強い日差しが注ぎ込む夏の海。ビーチが似合わない夏男がひとりでたたずんでいると、影のある女・渚に出会う。何を語るでもなく、なんとなく散策するふたり。翌日、ふたりはまた浜辺で会う。台風が近づき大雨が降りしきる中、ふたりは海で泳ぐのだった。つげ義春の漫画を原作に李が脚本を書いた映画を大学の授業の一環で上映していた。上映後、学生との質疑応答で映画の感想を問われ、「私には才能がないな、と思いました」と答える李。冬になり、李はひょんなことから訪れた雪荒ぶ旅先の山奥でおんぼろ宿に迷い込む。雪の重みで今にも落ちてしまいそうな屋根。やる気の感じられない宿主、べん造。暖房もない、まともな食事も出ない、布団も自分で敷く始末。ある夜、べん造は李を夜の雪の原へと連れ出すのだった‥‥。
監督・脚本:三宅唱
原作:つげ義春「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」
出演:シム・ウンギョン、堤真一、河合優実、髙田万作
配給:ビターズ・エンド
©2025『旅と日々』製作委員会
2025年11月7日(金) TOHOシネマズ シャンテ、テアトル新宿ほか全国ロードショー
公式サイト bitters.co.jp/tabitohibi
