「色の知識は全然ない」
――今回、東京都知事賞に輝いた「おHANA」は「お花」のイメージですか?
いろいろな意味を込めています。「花」はもちろん、「華」やかとか、顔の「鼻」とか、ハワイ語で「ohana」は、血の繋がりは関係なく“家族”っていう意味もあって、1年間のいろいろな感情が入っている感じです。
いつも、まずは気持ちで描き始めてからテーマがまとまってくるので、タイトルを付けるのはいちばん最後ですね。思いはずっとつながっているんですけど。
これまでは誰かのために描いてきた感じで、同期のおかずクラブ(オカリナ、ゆいP)をイメージして描いた年もありました。だけど、逆に自分のことを描いていなかったなと思って、去年からは自分を描き始めたんです。それで今回は1年間の感情だったり、いまの自分を感覚で描き続けました。

――これだけ多くの色を使うのは難しそうですよね。普段から心がけていることや、参考にしているものなどあるのでしょうか。
小さいころから色が大好きでしたけど、美術学校に行ったわけではないので、色の知識は全然ないんですよ。高名な美術の先生に言わせると、ありえない色使いらしいんです。ちゃんと知識がある人は絶対に隣り合わせにしない色を並べちゃったりして。
でもそれが、先生方からすると「面白い」みたいなんですよね。むしろ「学ばないで」って言われます。せっかくイメージしたものを描く力を持っているのだから、それを知識や常識にはめることなく、そのまま走り続けてほしいと。
――本当に周囲に素敵な方が多いですね。
本当、褒めて伸ばされている感じです(笑)。
緑内障を機に作風が変化
――ここまで作風に変化が生じたことはありますか?
ずっと同じ作風できたのですが、2022年に糖尿病からくる緑内障を発症してしまって、一気に視力が落ちてきているんです。以前は細かく縁取りをするような画風だったんですが、それができなくなってきて、今年の夏ごろから縁どらない画に変化していきました。
手術をしたりして進行を遅らせることはできるのですが、止めることはできないので、これからどうやって絵を描いていけばいいんだろうと悩んだのですが、逆に(縁どらない作風が)感情が出るようになっていいって褒められたんですよ。先生方に「ひと皮剥けたね」って言ってもらったんですけど、あの縁取りがこだわりだったのになって(笑)。先生方はイラストから絵画に変わったと捉えられたみたいです。

――緑内障と診断されたときはどんな気持ちでしたか?
わかった瞬間はヤバかったですね。でも、この1年の創作活動を経て、自分にない自分になっていく感じがちょっと面白いなと思ったり、他の人たちと見えている色も変わってくると思うんですけど、そういうのも楽しめたらいいなと思っています。逆にひとつの武器になるんじゃないかなって。
――自身の作品を、どんな人に見てほしいですか?
元気がない人ですかね(笑)。気持ちが明るくなる色使いかなと思うので。あとは、海外でも作品を見てもらえるようになりたいです。それから、服のデザインにも興味がありますね。
――スニーカーのときのように、いろんな人に身に着けてもらって、PRしてもらうのもいいですよね。
そうですね。ありがたいことに、芸能界にもファンの方がいるんですよ。『うちのガヤがすみません!』でDA PUMPさんのグッズを提案したときに、メンバーのKIMIさんが気に入ってくださったり、番組を見ていた新山千春ちゃんが「会いたいです」って連絡をくれて、いまは親友って言ってもらえるくらい仲良くなったり、浦嶋りんこさんも番組を見てくださっていて、たまたま沖縄料理店でお会いしたときに「スニーカー描いてる?」って声をかけてくださって、そこからかわいがってもらっています。
