8歳で父親が死去すると、極貧の中で「食うために」ボクサーを志すも、アルバイト先の大井競馬場を仕切る地回りに「顔がいいから役者になれ」と言われ、心機一転、俳優座に入団。それから七十数年にわたり、俳優として第一線で活躍してきた仲代達矢さんが11月8日、肺炎のため都内の病院で亡くなった。92歳だった。
映画「用心棒」をはじめ、「天国と地獄」「乱」などに出演。黒澤明監督率いる黒澤組の名優のひとりとして国際的な評価を受けた役者である。そんな仲代さんが「影武者」をめぐる騒動で、芸能マスコミから「勝新と絶交!」と書き立てられたのは、1979年8月である。
コトの起こりは同年7月の「影武者」リハーサル2日目。リハーサル中の自らの演技を収めるべく、スタジオにカメラを持ち込もうとした勝新太郎に対し、黒澤監督は「(あなたの演技は)僕が見ているからいいじゃない」と制した。
すると勝はプイッとスタジオを出たままワゴンカーに閉じこもり、着ていた鎧とカツラを外してしまう。その結果、この日の撮影は中断とになった。
とはいえ、翌日には黒澤監督に謝罪するつもりだったのだが、この騒動をスポーツ紙が大々的に報道。黒澤監督が記者会見を開き、勝の降板を一方的に宣言したのである。
ほどなくして黒澤監督から代役のオファーを受けたのが、仲代さんだった。 2018年4月21日、「大映男優祭」で登壇した仲代さんは騒動を振り返り、こう語っている。
「『影武者』で勝さんと黒澤さんがうまくいかないってことで、黒澤さんから連絡があって『代役で悪いんだけど、やってくれないか』と。勝さんは親友ですから『勝さんの了承を得てお返事します』と言って、さんざん追いかけたんですが、つかまらなくて。結局、代役としてやることになりました」
2人は仲代さんが俳優学校時代、銀座のバーでアルバイトしてる頃からの知り合いで、仲代さんは勝の主演映画「座頭市あばれ火祭り」(1970年公開)に浪人役で出演している。黒澤監督と並んで臨んだ記者会見で「代役」への思いを聞かれた仲代さんは、
「世界の俳優は、みんな黒澤さんの作品に出たいと思っている。配役もファーストイメージから5人くらいある。私はセカンドイメージのつもり。非常に光栄です」
この「光栄です」という言葉が切り取られ、勝との絶交説が流れることになる。
そんな2人が16年ぶりに再会したのは、1996年6月。ガンで逝った仲代さんの妻・恭子さんの葬儀の席だった。仲代さんは前述のイベント「大映男優祭」でこう語っている。
「勝さんが葬式に来られて。それまでお会いしてなかったんですが、『モヤ』(仲代さんの愛称)と言われ、抱き合って泣きました。いろいろあったけれど、本当の友達だった」
実は勝もこの年の11月に「ガン告白記者会見」を行っているが、葬儀の時にはすでに勝自身もガン宣告を受けていたのか…。向こうの世界で酒を酌み交わしているであろう、勝と仲代さん。冥福を祈りたい。
(山川敦司)

