
ドイツのベルリン自然史博物館(MfN)を中心に行われた研究によって、ウニの体はまるごと一つの「巨大な脳」だという驚きの結果が報告されました。
研究チームが地中海に暮らすヨーロッパムラサキウニを詳しく調べたところ、本来なら頭部に集中するはずの神経や感覚に関わる遺伝子が、ウニの場合は体じゅうの表面で活発に働いていることが分かったのです。
反対に、胴体として働く遺伝子は内臓だけでひっそりと活動していました。
つまりウニの体は、「脳」のような情報処理を行う神経が体全体に広がり、胴体らしいものはほとんどない、という極端な構造をしているのです。
この状態を研究者は「全身脳(all-body brain)」と表現し、脳がないと考えられてきたウニが、実は体全体で脳のような働きをしていることを示唆しています。
またこの結果は「脳といえば頭」という私たちの常識を軽やかに飛び越え、神経系の進化に新しいヒントを与えてくれるかもしれません。
ウニには人間のような脳がないはずなのに、なぜこんな奇妙な仕組みが生まれたのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年11月5日に『Science Advances』にて発表されました。
目次
- 人間はずっとウニを誤解していた
- ウニの体は「巨大な脳」だった
- 「頭がなくても知性がある」ことの意味
人間はずっとウニを誤解していた

頭とは何でしょうか。
多くの人にとって「頭=脳」であり、体の中心で命令を出す司令塔のような存在です。
私たち人間は「頭で考える」ことが当たり前ですが、世界にはその常識を軽々とくつがえす生き物がいます。
その代表がウニです。
トゲトゲした球体の姿を見ても、どこが頭なのか分かりません。
実際、ウニには中央集権的な脳が存在しません。
あるのは口の周囲を取り囲む「神経の輪」と、そこから放射状に伸びる5本の神経の束、そしてその先へ広がる末梢の神経だけです。
つまりウニの神経系は、頭という中心を持たずに全身へと広がっているのです。
けれどもウニは、ちゃんと環境を感じ取り、動き、食べ、身を守ります。
頭も目もないのに、まるで考えているように見える──その不思議さが科学者たちを長年悩ませてきました。
その原因はウニの体の構造にありました。
ウニの殻は石のように硬く、しかも体が小さいため、昔の技術では内部の細胞を損傷なく効率よく取り出すことが非常に難しく、細胞レベルでの詳しい研究があまり進んでいませんでした。
結果として研究者たちは長いあいだ、ウニの神経系を「単純な神経の網」だと考えてきました。
刺激を受けたら反応するだけの、単なる反射装置のような存在――そんなイメージです。
しかしそのイメージは本当なのでしょうか?
誰も調べなかっただけで、本当はウニの体には高度な神経系が存在している可能性はないのでしょうか?
研究チームはこの疑問を確かめるため、最新の細胞解析技術を駆使してウニの“細胞地図”を描くことに挑みました。
ウニの体は「巨大な脳」だった

ウニは高度な神経系を持っているのか?
謎を解明するため研究者たちは若いウニ(変態後2週間齢)を集めました。
この時期のウニはまだとても小さく、殻も薄いため、細胞レベルで内部を調べることが比較的やりやすいのです。
次に研究者たちはウニたちを砕き、数万規模という膨大な数の細胞核を集め、どんな遺伝子が活性化しているかを調べました。
すると遺伝子の活動パターンを元に、ウニの細胞が大きく48種類に分類できることが判明します。
さらに興味深かったのは、その48種類の細胞のうち約60%ににあたる29種類が、実は神経系に関係した細胞群(神経ファミリー)だったことです。
これは予想以上に多い数で、単純な割合比較ならば、人間やマウスよりも高いもので研究者を驚かせました。
さらに詳しく調べると、この神経系にはヒトの脳でも働いている遺伝子がいくつも見つかりました。
その中には「ドーパミン」「GABA」「ヒスタミン」といった、感情や目覚めなどをコントロールするための信号物質(神経伝達物質)に関係した遺伝子も含まれていました。
しかも、それぞれの細胞は単に一つの役割だけではなく、複数の遺伝子を組み合わせて活動するものもありました。
たとえば、一つの細胞が二つの神経系の目印となる遺伝子を同時に示すケースも見つかっています。
こうした事実から見えてきたのは、ウニの神経系がただの反射を繰り返すだけの単純な「神経の網」ではなく、想像以上に高度なネットワーク構造を持っているということです。
また、29種類の神経系細胞をより細かく分類すると、種類数はさらに多数に及ぶ可能性があることがわかりました。
つまり、「脳がない動物は単純である」というこれまでの常識は、完全に覆されてしまったわけです。
さらに驚くべきなのは、このような複雑な神経ネットワークを形づくる遺伝子が、決して「ウニ専用」ではなかったことです。
実際、ヒトを含む脊椎動物の脳や脊髄を作るのに使われる遺伝子が、ウニの体のあちこちで働いていることが分かりました。
反対に、「胴体」を特徴づける遺伝子はウニの場合、腸管や水管系(ウニの体の中で水分を循環させる器官)など体の内側の一部に限られていました。
簡単に言えば、ウニの体の外側部分は、胴体というよりほぼ「頭」だったというわけです。
この驚きの配置は、ウニを含む棘皮動物(トゲのある皮を持つ動物のグループ)が共通して持つ「五放射状体制」という独特の体の形に関係があるのかもしれません。
ヒトのように“前が顔・後ろが胴”という一本道の体ではなく、ウニは“どの方向も正面になり得る円形の体”をしています。
もし体の周囲どこからでも外界に反応して動きたいなら、「頭の役」を一か所にまとめるより、外周ぜんぶに薄く広く配るほうが都合がよいはずです。
だから、光や触覚などのセンサーと、それを結ぶ神経の“頭的プログラム”が外側一帯で強く働き、どの方角の「足(管足)」からでも即座に感じて動ける設計になります。
逆に、食べ物を分解したり、体内の水を循環させたりといった“胴の仕事”は体の中心側でまとまって行えば効率的なので、胴体系の遺伝子は内臓や水管系に限られて見えるのです。
言い換えると、ウニの体は「頭が輪になって外側をぐるりと覆い、胴の機能は内側にしまい込む」という配置で、五方向どこからでも前進・回避・捕食に切り替えられるよう最適化されているとも読めるわけです。
ウニは世界を見ている
もう一つ研究チームを驚かせたのは、ウニの視覚の仕組みです。ウニには人間のような目がありませんが、昔から体の表面に「視細胞」と呼ばれる光を感じ取る細胞があることは知られていました。ただ今回の解析では、その視細胞が少なくとも15種類にも細かく分かれていることがわかったのです。
つまりウニは、光を単純に感じ取るだけではなく、その波長や強さ、光の変化までも細かく受け止めている可能性が高いと研究チームは考えています。
そしてさらに、この視細胞には驚きの機能がありました。光を感じるタンパク質には私たち人間の眼でも使われる「メラノプシン」と、今回ウニで初めて発見された「Goオプシン」の二種類があります。研究チームが見つけたのは、この二つのタンパク質を一つの細胞で同時に持つ視細胞です。こうした二種類のタンパク質を一つの細胞内で組み合わせて使う仕組みは非常に珍しく、新しい発見だと考えられています。
この「二刀流」の光センサーを持つ細胞は、波長の異なる光を幅広くかつ細やかに感知し、まるで高性能の光計測器のように光情報を全身のネットワークで情報処理している可能性があります。
そのため研究者はこの状態を「全身脳(all-body brain)」と表現しました。
これらの結果は、脳がないと考えられてきたウニが、実は体全体で脳のような働きをしていることを示唆しています。

