トキたちの地元「山陰新聞」も妖怪ネタがいっぱい
小泉八雲とセツが新婚生活を送った山陰地方も、超常現象ネタが豊富です。湯本豪一氏が編纂した『地方発明治妖怪ニュース』(柏書房)には、島根県で起きた怪事件も紹介されています。
1883年(明治16年)の「山陰新聞」1月4日号では、松江近くの浜辺を走る「怪物」が出現し、住民をおびやかしたとあります。
この浜では200年前に暴風雨で漂流したふたりの舟子を撲殺し、船の積荷を略奪したという過去があったそうです。その撲殺した舟子の霊魂が徘徊していると住民たちが恐れていることも記事では触れています。横溝正史の『八つ墓村』のような忌まわしい言い伝えです。怪物以上に、漂着者を撲殺した200年前の住民たちが恐ろしく感じられます。
また、同年7月13日号の「山陰新聞」では、妻が「狐憑き」に遭った夫が近隣の家に怒鳴り込むという騒ぎが西茶町で起きたことを伝えています。
八雲も興味津々? 日本の吉凶を予言した「妖怪ニュース」
1891年(明治24年)、八雲夫妻は九州の熊本へと引っ越します。九州も、河童や人魚や幽霊などの妖怪ネタがいっぱいです。
1876年(明治9年)の「長野新聞」6月21日号は熊本県青沼郡磯野浜に「尼彦」という怪物が夜になると現れ、疫病(コレラ)が流行することを予言したと報じています。そして自分の姿を絵にして、朝晩見ることで疫病予防になるとも伝えたということです。「尼彦」はアマビコと読み、「アマビエ」と同じ妖怪だとされています。
明治時代の新聞には、日本各地に出没した妖怪たちの多くが迫力のある絵として描かれ、遭遇した人たちがどんな反応をしたのかも生き生きと伝えています。そんな新聞を賑わした妖怪たちのなかでも、ひときわ有名なのは「件」でしょう。「くだん」と読み、予言する妖怪として知られています。
牛の体に人間の顔を持つ「件」は江戸時代から何度か出没し、その翌年は豊作になったと言われています。1909年(明治42年)の「名古屋新聞」6月21日号には、10年ほど前に長崎県の五島列島で「件」が生まれ、「明治37年に日本はロシアと戦争をする」と人間の言葉をしゃべり、間もなく亡くなった……という記事が掲載されています。しかも、「件」の衝撃的な全身写真付きです。
小泉八雲は1894年(明治27年)に刊行した初の著書『知られぬ日本の面影』で、「件」が見せ物になっていることに触れています。ギリシア神話に出てくる怪物「ミノタウロス」は上半身が牛で、下半身が人間でした。「ミノタウロス」とは逆パターンの「件」に、八雲も興味津々だったようです。
八雲は「日露戦争」が始まる1904年(明治37年)に、54歳で亡くなっています。一方、日露戦争に勝利したことで、日本のナショナリズムはかつてなく高揚します。新聞は大いに売れ、新聞社は大企業へと変貌。妖怪ネタは紙面から消えていくことになります。
晩年の八雲は東京で暮らしています。東京帝国大学ではロンドン帰りの夏目漱石に英文学講師の職を奪われる八雲ですが、自宅ではセツと4人の子供たちに囲まれた賑やかな生活を送っています。孤独な少年時代を過ごした八雲にとっては、裕福ではなくとも幸せな時間だったと思われます。もし、八雲に心残りがあるとすれば、日本の文明開化が進んだことで、妖怪たちにはすっかり暮らしにくい社会になったことだったかもしれません。
